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今からでも、何かのことを出発させるときは、神様を中心として出発すべきです。これが原則なのです、原則。
霊界に行けば、そのような原則が皆さんの前に現れて、ここにどれほど同化して、ここにどれほど一致するかということが、これから地獄から中間霊界、楽園、天国まで、全部つながるのです。そうなるべきではないですか? そのような原則が皆なければなならないのではありませんか?
そうかといって、アメリカの大統領をして、世界的なノーベル賞ももらってですね、世界的に有名な学者と言って、霊界に行けば、天国に行けるか? 行けないのです。通じることができますか? それゆえ、宗教界は、すべてを皆捨てて行けと教えるのです。皆捨てて行かなければならないのです。そのような論理が成立します。
では、何がいちばん貴いものか? 何がいちばん貴い道かというのです。天のためにどれほど苦痛を受け、この世界のためにどれほど苦痛を受け、どれほど涙を流したかということです。それがあの世にパスするチケットです。これは間違いありません。絶対的なのです、これは理論に合うのです。
それを神様の立場から見るようになれば、神様が嬉しい神様か? 神様が嬉しいと思う宗教は、頭もなく、ただ常識外れの輩だということです。それで、いちばん悲しい方が神様なのです。その神様が、今まで涙を流し、苦痛を受けたなら、それは神様自身のためではないのです。神様が創ったこの宇宙のために、堕落した人類のために、今も涙を流しているということです。それは合っている言葉です。なぜ合う言葉か? 心情の神様であるためです。(九七\一七二)