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14)為に生きれば神様の近くへ行く

霊界に行ってみれば、霊界は膨大ですが、三段階になっています。ずっと経て見るようになれば、誰がトップに上がるか? より為にした人です。そこの法がそうです。(板書され)ここから出発して、ここに行ってぶつかっても「オーケー! ウェルカム、ユー(OK, welcome you)!」、 ここに来てぶつかっても「オーケー! ウェルカム、ユー!」、ここに来ても「オーケー! ウェルカム、ユー!」と言います。

しかし、自分のためにする人は、反対の世界が繰り広げられます。それも同様に、三段階です。ここでは全部「フン! 我々はおまえのようなのは嫌だ!」と反対するのです。二種類です。二種類ですが、それを分析してみると、自分のために生きた人は、全部反対し、人のために生きた人は、全部歓迎します。

これは、間違いありません。ここからこの人がこのように行くようになれば、あの上で手ぶりをするのです。そうならばどれほど素晴らしいでしょう? しかし、ここでは全部見まいとするのです。自分の死んだ妻もそうだというのです。霊界に行っていれば分かりません。自分の父母も分かりません。関係ありません。

それをどこでなすべきか? 地上に生きて、行くには行きますが、高い所に行く人たちは、全部人のためにした人たちです。世界の四〇か国なら四〇か国を回りながら、自分の母と家庭を拡大したような心情を持って為にし、世界の人々を全部悪から救ってあげる聖人の心を持った人たちが、高いところへ行くのです。

それで、先生はそのような考えをします。「私は一人の男として、歴史時代の孝行者を代表した総大将であり、愛国者の総大将であり、聖人の総大将だ。神様の息子という名前をつけたすべての人たちは失敗したが、私は勝利した息子娘として生まれた」ということです。そのように言えるようにしてくれるものは、たった一つありますが、それが何か? 簡単です。絶対為に生きることです。与えて忘れ、為にして忘れてしまって生きる人だけが、その世界を消化することができるというのが結論です。簡単なのです。何の話か分かりますか?(はい)。

皆さんが天国に行く輩か、地獄に行く輩か、はっきり知るべきです。レバレンド・ムーンが、ただ考えて言う言葉ではありません。霊界をよく知っている人です。(板書され)このように二つの世界があります。ここでありとあらゆる人たちが暮らして、ここに行くのです。

死を避けることができる人は一人もいません。死を避けることができないのです。ここで暮らしてから行くのに、自分のためにする人は、この世界に行ってくるりと回って地獄に行くのであり、人のために生きた人は、ぐるりと回って天国に行くのです。この二つの世界が死から分かれるのです。(二〇三\一〇〇)

真の父母は何か? ここで、このような基盤から、だんだん大きいことを教えてあげるのです。上がれば上がるほど、もっと大きいことを教えてあげるのです。それで何ですか? 天国、永遠の国に合うように教えるのです。永遠の国に行って、拍子が合うように、呼吸に支障がないように教えるのです。分かりますか?

霊界に行けば、すべて霊界を背にして、壁のようなコーナーに行って、引きこもっていなければなりません。そうでもしているべきであって、回って見れば、全部人のために自分を否定して、犠牲になるという輩だけだから、窒息するほどなのです。大変なことなのです。

これを誰が作ったか? サタンが作りました。それで、皆さんは真の父母が来て解放してくれるのを願っています。解放してくれるのを願うのです。それを解放するには、ただそのまま解かなければなりませんか、反対に解かなければなりませんか?(一二九\九九)

これからはどんなことが起こるかというと、自分の財産を天のものとして捧げるための列が、世の中でいちばん長い列ができると思うのです。何の話か分かりますか?(はい)。

ですから統一教会に来るようになれば、全部無一文の乞食になれというのです。皆捧げました。捧げるものは、鼻水と涙と血しかありません。先生自身がそうです。捧げるものがないのです。生命と財産を皆捧げました。分かりますか?(はい)。

皆さんに息子娘のための預金通帳があれば、それは自分の息子娘のために使うべきですか、南北統一のために使うべきですか、世界求道のために使うべきですか?(世界求道のために使うべきです)。分かることは分かるのだな。そのような考えをして、そのような行動をしてこそ、メシアの班列に同参することができるのです。分かりますか?(はい)。

為に生きよということです。全体のために、より大きいことのために生きろというのです。世界のために、神様のために、人類を解放するために生きろというのです。自分によって新しい血筋に転換させなけれななりません。

血筋が引っかかっているために、今まで神様が無力な神様になりました。今は、転換時期に入ってきたので、自由天地が訪ねてくるのを知って、皆さんが善の種を植えなければなりません。自分がどのようにすべきか、よく分かるでしょう。自分たちがよく分かるでしょう?(はい)。これから、伝統的メシアの一族として、天国の国民、永遠の天国とつながりうる永生を持った群になるべし!(アーメン)。(二〇三\一八七)

これか何の競争が起こるかというと、互いが為にしようとすることです。なぜ? 天国では為にする人が高い位置に行くために、その高い人のために自分がなれば、その人に乗ってジャンプすることができるからです。ケープ・ケネディーに行くようになれば、人工衛星の発射台がありますが、そこで人工衛星が発射されて、空に飛んでいくのと同様に、そのようになるのです。

その人の為にすることは、神様が創造して相対を創ったのと同じであるために、その人の愛の対象圏に立つというのです。皆そうでしょう? 誰かについていって、為にするのも、皆そのためです。

皆さんもそうでしょう? 先生のためにするでしょう? 先生のためにするのは、先生を利用しようしてしまおうということです。先生の愛の対象になって、ジャンプして、神様を占領しようというのではないですか? そうですか、違いますか?

人工衛星は、飛ばすべきでしょう、目標物に向かって? 同様です。人工衛星が出てきたのは、今日信仰者たちが跳躍して、天国にどのように行くか、何千里、何万里を行くかということを表示するものだというのです。

どうせ、人間は自分の家で暮らして、本然の故郷に帰るようになっています。この世の故郷もあるでしょう? 世の中の故郷もあるでしょうが、それよりも本然の故郷に、永遠の故郷に帰るようになるとき、そこで歓迎されうる内容を備えられなかった人は、悲惨なのです。皆さん、グループに入れないということが、どれほど途方もないことか分からないでしょう? 私が一度経験したことがありますが、いつ他の人たちに話したかもしれませんね。(二一三\一九四)

さあ、あの世に行けば、個人があるでしょうか、ないでしょうか? 家庭があるでしょうか、ないでしょうか? 今までは家庭がなかったのです。しかし、今から家庭の組織が始まるのです。全部分かれていったのです。なぜ? 文化背景が異なり、心情的背景が異なり、暮らす風習が全部異なるので、皆分かれていくのです。

ですから、家庭というものが何かというと、新しい風習と新しい文化を作って、習慣化する所です。しかし、家庭がないから、そこに社会がありえますか? 一国の社会がありません。皆混ざっているのです。その次には国がなく、世界がないのです。

それゆえ、今主流をなしているのが宗教クラブです。仏教圏とかキリスト教圏とか言って、ここにとどまるのです。他の国の人どうしは共にいられませんが、宗教圏は共にとどまることができるのです。宗教圏は、一つの世界を願ってきて、一つの神を神事をきたために、共にとどまることができるのです。しかし、すべての宗教が神様の圏に属しているのに反して、すべての国は神様の圏に属していないのです。そうでしょう?

これが統一教会から、個人が生じ、家庭が生じ、氏族的メシア、国家的メシア、世界的メシアが出てくるのです。個人が行く道が家庭につながり、家庭が行く道は氏族が行く道につながるのです。

さあ、では霊界はどんな世の中か? 真の愛を中心として、他の人のために生きる所が霊界です。自分のために生きるのではなく、全体のために生きるのです。ここの地上でも、人のためにするひとは、百パーセント為にする人は、「私を踏み越えて行け!」と言うのです。いくらアメリカという国が大きくても、アメリカの大統領より、その国の民のためにもっとする人がいるなら、その人が大統領を踏み越えていっても皆歓迎するのです。しかし、自分の利益だけを取るようになるときは、全部怨讐になるのです。

霊界に行っても同じなのです。より大きなことのために生きるというときは、自然的に通過するのです。より大きなことのためになれば、自然に通ずるのです。ですから、世界のために生きる人は、アメリカのために生きなくてもいいのです。世界の中にアメリカが含まれるのです。韓国も同じなのです。すべての国が皆含まれるのです。

では、行くのにおいて、これが家庭もそのまま通り過ぎて、すべてが歓迎しうるその方向の内容が何か? それは真の愛を中心として、為に行く愛の道しかないという結論が出てくるのです。

この二つは、地上のサタン世界でも妨げられません。サタン世界も妨げられないのです。この二つは、サタン世界も絶対順応しなければならないのです。どうですか? そのようですか? いくら悪徳な父母、いくら悪い奴でも、真の愛を持って自分のために与えようとする人は、すべてが歓迎するのです。そうでしょう? 夜も昼もそうなのです。(二一五\一七四)