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@ 愛の威力
霊界も肉界も、愛によって動くのです。その縦的な真なる愛の主軸を中心として、環境的与件を自分自ら、拍子を自動的に合わせるのです。さっき、男・女が合わせると言ったのと同様に、パチパチパチパチとやって全部ぴったりと合うのです。(一八五\二〇)
女にいくらヒゲを持っていって付けても、ヒゲは生えません。私は知りませんよ、付けてみればいいことはいいけれど。それはそうでなければならないのです。プラスがどのようにマイナスになりますか? 毛が付いたといえども、永遠にプラスでなければならないのです。共通分母が何かというとき、過去の人も、現在の人も、永遠性と同伴することができる資格が何であり、我々人間世界で必要とするそのすべての欲求の要因が何かというとき、それは愛です。それはつまらない愛ではありません。真の愛です。
では、真の愛が何か? 縦横を通じて、水平垂直九〇度を備えて、どこに行っても角度が合わなければならないのです。東洋の家にも合い、西洋の家にも合い、南型の家にも合い、北型の家にも合い、五色人種、文化背景、すべての宗教背景が、全部違ったとしても、この角度は合います。同じだというのです。それが何か? 真の愛だというのです。(一八〇\八六)
今日、この世には、多くの人たちが暮らしています。四〇億の人類以上の人たちが暮らしていますが、統一教会で言う祝福という意味を知る人は、多くないのです。この祝福という言葉は、統一教会で初めて始まった言葉であり、その祝福という言葉を中心として、今まで祝福行事をしてきました。
これから、人類はどこに行くか? これから、人類はどこへいくべきなのか? すべての人類は、祝福の門を通らずしては、天国に行くことができないのです。数多くの人たちが、既成教会を信じますが、その既成教会自体も祝福という門を通らずには、天に行くことができないのです。
このように言うと、既成教会では、統一教会のレバレンド・ムーンは、独善的な発言をたくさんすると不平を言うのです。このような考えをする人、また、そのように言う人もいるかもしれませんが、それはその人たちの言葉で、統一教会で言う祝福は堕落した人類においては、必ず行くべき道です。いくら反対したとしても、霊界と肉界をつなげて入らなければならない、非常に重大な問題になるのが、この祝福というものです。
今日、一般の宗教を信じる人は、「救い」と言うと、個人の救いを考えます、個人の救い。自分がよく信じれば、自分は天国に行くと信じる立場でしょう。しかし、本来の神様の理想について見るとき、天国は一人で行くようになっていないのです。愛する夫婦、愛する家族がともに入るようになっています、本来が。(一四三\二三五)
A 夫婦の霊人体
我々は、愛の理想を探していく群です。お分かりですか? ですから、霊界の代弁者として立つために、愛の理想と自分の体に、現実に身に着けて、その愛をどれほど横的な世界に扶植させるか、種としてまくかというここで、愛の心を持って、互いに授け受けしながら育つのです。大きくなるのです。
こうして、愛の実を結んで、その夫婦が霊界に入るようになるとき、神様の永遠の愛の圏内に抱かれ、神様と一つの体になるのです。神様と一つになるのです。(一四四\二二四)
皆さんは、真の愛の論理をたくさん習わなければなりません。我々統一教会の霊神(草創期からいるおばあさん)たちは、五〇になったのに、顔を見れば四〇代のようです。ですから、先生が気分が悪いですか?(笑い)五〇を越えたのに、顔を見れば、世の中の人たちでいえばだいたい三〇代しかならないように見えます。愛するほど老けますか、若返りますか?(若返ります)。愛するほど若返るのです。
人は、この地上で殻はみんな老けていきますが、夫婦生活をして愛すれば愛するほど、霊人体は若くなるのです。その言葉はどういう意味かというと、人間が長く生きれば生きるほど、内的人間である霊人体は、最高の円熟した美男・美女になるのです。そうではないですか? その殻はですね、服のように脱がなければなりませんが、これまで若返ってくっついたらどうしますか?
ですから、老ければ外的な面である殻は、全部だめになりすが、内的な中身は、丈夫になって未来の相続者になり、美人になるのです。それゆえ、秋の栗のいがのようになるのです。秋になれば、栗のいががこのようにできあがって、殻がぶよぶよになるでしょう? 丈夫だった栗のいがが、熟れれば、全部自分の方向性を失って、ぶよぶよになって、栗の実が落ちるようになっています。そうではないですか? それと同じです。
愛する人は、どのようになりますか? 恩賜の中で面白く暮らし、互いに愛しながら暮らす人は、あまり老けないように見えるのです。(一六四\一〇二)
B 結婚と霊界
キリスト教では、神様を愛すると言いますが、これが漠然とした結論です。そうではないですか? 聖書に言うには、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。これがいちばん大切な第一のいましめである。第二もこれと同様である。自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」と言ったではないですか? そうなればいいのです。
神様を愛する前に、神様を直接愛す前に、皆さんの足の先から、皆さんが食べる食物を愛し、物質を愛し、万物を愛し、皆さんの体を愛さなければならないのです。万物を愛すことで、万物の要素を吸収して、自分の体を愛するようになるのです。このようになるのです。
皆さんの第一の父母は、皆さんを産んでくれた父母ですが、第二の父母は地球です。この地です。皆さんは、地から皆さんの体が大きくなれるよう、その要素を供給するのです。地が体の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母に入るのが死ぬことです。第三の父母に行くには、そのまま入るのではありません。第三の父母に帰るには、本来の父母だった神様の形に似なければなりません。
従って、結婚するのはなぜするか? 神様の形に似るためです。神様は、二性性相としておられる方として、各一性が合体化した一律的な存在であられ、その神様の分性的人格自体が男女であるために、彼らが合成一体化して種のようになって、神様の本性の位置に帰らなければならないのです。
しかし、その種をつなげるためには、愛の道理の道を通じなくてはいけないために、生まれながらも愛され、育ちながらも愛を目標として願い、暮らしながらも愛を中心として暮らし、行きながらも愛に帰るために行かなければならないのです。
その道は、為にする目標を中心として訪ねていかなければ、方向が異なるという事実を、皆さんは知るべきです。為にして愛するという心は、いくらこちらに行くいっても、(磁石が)南極と北極の方向を探すように、いつもこのように行くというのです。(一三八\九八)
C 祝福家庭の霊界の立場
我々統一教会の信者たちは、霊界が確実にあるということを知っているのです。信じているのではなく、知っているというのです。なぜ? どうして? どうなって? 多くの体験を通じて、否定しようとしても否定できない歴史的事実、または現実的事実が我々の生活の周辺に…。今日、統一教会がこれほど世界的な基盤を形成するまで、その背後、前後を調べてみるとき、多くの体験過程を経てきました。それゆえ、霊界がないと言えない立場にいる人たちが、統一教会の信者だというのです。
では、霊界の中心は何か? それは、一つの絶対的神を中心として構成された世界です。その絶対的神がいるなら、その神は、この創世以来の宇宙の起源になられる方です。彼によらないものがないというのです。彼に属しているために、彼に属した全体は、彼とともに感じ、彼とともに因縁を持って過ごしているのです。
そのような愛の圏がなされる所には、サタンがいないのです。それゆえ、サタン世界は、自分を中心として愛するのです。天がいちばんではなく、自分がいちばんだというのです。天を否定し、地を否定して始まったのです。
しかし、その反対に、天を認めて地を認める、万物に対する愛の基準を中心として、兄弟の愛を万物に込めた父母の平均的愛の下で一つになれば、サタンが主管することができないと見るのです。それが本然のアダムの基準の位置です。その基準を回復しなければならないのです。分かりますか、分かりませんか?(分かります)。
ある町内に、統一教会の夫妻が住めば、その町内で話題になければならないのです。先生がどこへ行っても話題になるのと同じようにです。「あの夫婦は、この町内に実によく来た。あの奥さんは、この町内のすべての男たちが好み、おばさんたちが皆好む。子供たちまで好む。」そうでなければならないのです。そうであるべきではないですか? 統一教会の信者たち、そうですか? ん?
それができなければ、霊界に行って再び帰ってこなければならないのです。帰ってくるには、先生がサインをしてあげなければいけないのです。帰ってこれないのです。祝福を受けた家庭たちが、地に勝手に来ることができますか? 先生がそこで祈祷をしてあげてこそ、それも可能でしょう。霊界に行って、先生が祈祷をしましたか? それで、まず行った人たちどうし、皆縛られているのです。今まで統一教会の祝福家庭は、皆縛られているのです。
それゆえ、地が問題です。年老いたほど、もっとしなければなりません。これは公式ですから。おじいさんの公式、孫の公式が違いません。同様です。神様が行く道も、サタンが行く道も、公式は同じです。変わりえません。変わりえないために、そこに不合格者は押されていき、合格者は上がるのです。(一四〇\一二三)
D 祝福は約束
先生がいなければ、統一教会は面白くないでしょう?(はい)。先生が必要ですか?(はい)。霊界で私を待っているのを知っていますか? 霊界に行っても、位置をつかんでやらなければならないのです。君たちも、生まれて生きてみたら、変な人に会って、変な輩になりませんでしたか? そうでしょう?(はい)。今は、先生のみ旨が事実だということが信じられますか?(はい)。
皆さんが、全部先生から祝福されたでしょう? 永遠の家庭として暮らすと、先生と約束したのです。先生は、永遠の家庭を治める人です。永遠の国を治める人です。永遠の国の家庭、単位家庭を設定するのです。そうすれば、その約束を守る人が、家庭はもちろん、永遠の国を引き継ぐのです。
その永遠の国に、今行っていますか、行っていませんか? 成しましたか、成せませんでしたか? どうですか? 訪ねていますか? 成せませんでしたか?(はい)。ですから、南北統一をしなければなりません。(二〇五\三五九)
E 祝福の栄光
真なる女は、どうであるべきか? 男を中心として、男がしようという通りにしてあげ、全世界に奉仕して、家庭のために奉仕して、氏族のために奉仕するようになれば、その周囲が全部拍手するようになります。簡単なのです。
皆さんは、先生が好きですか?(はい)。先生が祝福してくれるというから、お世辞でそういうのでしょう? 良い新郎を得てもらうのを願って「はい」と言うのでしょう?(いいえ)。なぜ好きですか、なぜ? 全体の為に生き、苦労しながらも皆さんを生かしてあげようと、人類を解放させてあげようと、するために、皆好むのです。先生が苦労しなければ、皆さんが霊界に行って、何億万年を待っても祝福を受けられないのです。不可能なことなのに、先生が苦労して、このような価値ある祝福の版図が繰り広げられたという事実は、天の霊界とこの地上世界に、どれほど栄光なもので、華やかな事件であるかを、皆さんは知るべきです。(一六二\六八)