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我が国を中心として見るとき、我が国には数多くの宗族がいます。数多くの宗族の中には、数多くの個人がいます。自分は、その数多くの個人の中の一人なのです。
このような中で、自分自身について見るとき、自分が経ていくべき勝利の世界、希望の世界がどれほど遠いかを考えてみろというのです。今日、自分がこの場でそのまま暮らせばいいと言ってはいけません。その道を行く我々がすべきことは、神様の息子として全天宙を主管することができる万物の霊長の権限を備えることです。
では、万物の霊長という言葉が、どういう言葉か? 万物の霊長が誰か? 今日、人だと言っていますが、万物の根本となった霊長は神様です。そうではないですか? 皆さんは、霊があるということが分かるでしょう。人間には、その霊があります。人間は、その霊の中の長であるために、結局神様と直結させて霊長だと言うのです。
万物の霊長だというのは、人間それ自体だけではなりえません。人間も被造物であるのに、どのように万物の霊長になるかということです。被造物とは、相対的な結果体です。被造物だけできては、原因に通じることができず、原因を占領することができないのです。被造物は、原因によって占領されるようになっているのです。
皆さんは、結果的存在であることは、間違いありません。霊長と言うようになれば、長は霊の中で中心であるという言葉です。この言葉は、内々で本来、神様と人間が一つになった関係について言う言葉であることを、皆さんは知るべきです。
それゆえ、霊長は、神様と通じるのです。しかし、人間が万物の霊長だといって、すべてが霊長ではありません。霊長になりうる人は、別にいるのです。その霊長になりうるクラブに加入することができる資格者は、少なくとも個人のために生きる人ではありません。全体のために生きる人です。神様は、そのような人を中心として、その願いを成そうとされるのです。そうなれば、誰の天国になるか? 神様の天国ではなく、その人の天国になるのです。(三二\一三六)
人は、どのようにすべきかというとき、永生すべきだと言うなら、本当に良い知らせでしょう。さあ、このように悪なる世の中で、我々が暮らしながら七、八〇年、それも、何、年取れば…。「アリの子一匹死ぬのと、人が一人死ぬのと違いが何か?」このように考えるかもしれませんが、人は霊物であるために…。霊物! 霊です。万物の霊長であると言うではないですか、万物の霊長? そうでしょう? 万物の霊長! 堕落しましたが、万物の霊長だ! 名前は実に良いですね。
万物の霊長になりうるのは、何のため? 年取らない心のためにそうだというのです。年取らない心のために、そうだというのです。万物は、皆変わりえます。純金も変わります。退色してしまいます。風化作用により、これが減退します。ですが、心だけはそうではありません。変わらないところにおいて、最高の権威を持っています。(一五九\二七八)
顔立ちを持っている我々人間たち、万物の霊長だという人間たち、その霊長だということは、何を中心として霊長だというのか? お金を中心として、知識を中心として、権力を中心として言う言葉ではありません。それは、神様の最高の愛を中心として言うことです。(二一〇\三〇九)