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3)内の人と外の人

人間の本然の因縁が何かといえば、天地万物を創ったその因縁の中で、神様の絶対的な愛の圏内で、愛の和動の因縁として互いに完成愛として楽しむことができ、ほめたたえることと尊敬の価値をあらわにすることが、本然の因縁でした。そうする中で、天の因縁と地の因縁が、すっかり和合して、一つに調和して現れたのが人です。それゆえ、見えない心があり、見える体があるのです。

本来の因縁を持って生まれたら、体と心が分かれてけんかをするでしょうか、すっかり一つになるでしょうか? すっかり一つになるのです。絶対的な神様であられますが、技術があれば最高の技術があり、長じていないことがない、そのような神様が、人を創るのにおいて、心の目的と体の目的が違って、闘う人を創っておいたでしょうか?

皆さんを見ても、内の人と外の人が互いに闘うでしょう? 闘いますか、闘いませんか?(闘います)。この闘いがいつ終わるようですか? 約十年ほど過ぎれば終わるようですか、死んでも終わらないようですか? 神様が人間をそのように創ったなら、その神様は一つの目的を持った神様ではなく、二つの目的を持った神様であるので、そのような神様は、混沌とした神様なのです。

宇宙のすべての法則について見るとき、前後左右が行き違いなく秩序整然に一つのはっきりとした目的性を持って存在するということが分かります。これを見るとき、人は本来このように創造したのではないのです。それで、体を放り投げて、本然の心を探さなければならないのです。このように、根本を探して入ってみようというのです。(四四\一九四)

我々人たちの肉と霊人体を中心として見るとき、より重要なものが何か? 肉でなく霊であるのです。肉は七、八〇年の時間圏、限界圏内で生きては去ってしまいますが、霊は時間圏を超越し、空間まで超越することができる権限を持っています。従って、歴史的な責任を悟って、責任を果たすことが人間の本意というものです。

皆さんがいくら肉身を中心として豊かに暮らしても、結局は死ぬようになるのです。どうせ肉身は死ぬようになっているのです。そのようになっているのです。では、霊的な基準と肉的な基準のうちで、どちらがより重要なものか? 我々は、肉的な基準を中心として生きていくのではありません。肉は霊のために、霊は肉のために存在するのです。皆さんは、世の中の人たちが生きていくのと同じ立場にすがってはいけません。

皆さんは、肉を救ったという立場で、霊肉が合わさった実体を備えて、より甲斐のある立場から出発しなければなりません。これが統一理念を持った皆さんが行くべき道であるのにもかかわらず、肉身を中心として食べて暮らすことが重要だと考える人がたくさんいます。(二〇\三二六)