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1 血統定立
救世主が来て何をするのでしょうか? 彼は、神様を根としたというのです。それが違うのです。堕落した世界の人たちは、サタンを根としたのであり、メシヤは神様を根としました。それでは、そのメシヤとはどのような存在でしょうか? 失ってしまったアダムの代身者です。アダムは、未完成級で堕落しましたが、完成したアダム格として、神様の愛の根に完全にくっついて成熟した男性として顕現したのが救世主、メシヤだというのです。
それでは、メシヤは来て何をするのでしょうか? 再創造の役事をするのです。神様がアダムを造ってからエバを造るとき、アダムを手本にして造りました。アダムのあばら骨を抜いてエバを造ったという話は、手本にして造ったという意味です。
アダムを造ったのちに、エバを造りましたか、エバを造ったのちにアダムを造りましたか? アダムを造ったのちにエバを造ったので、完成した男性的アダムが出てくるようになるならば、その完成したアダムを標本としてエバが完成されるのです。ところが、アダムが責任を果たせず堕落したので、女をサタン世界に行って探し求めてこなければならないのです。探し求めてくるのに強制して探し求めてくるのではありません。愛を中心として自然屈伏させ、サタンの血統を否定しなければなりません。
サタンの血統的因縁はどのようになっているのでしょうか? 個人的に編まれ、そこに新婦がいるとするならば、その新婦圏内に兄弟が多いのですが、その兄弟の家庭が編まれ、その次には、兄弟の一族が編まれ、兄弟の国があり、兄弟の世界があります。全部、ぶらさがっているというのです。ところがここにメシヤが来て新婦を探し求めようとするとき、悪魔は、何かずる賢い手段を使ってでもあらゆる方向において妨げようとするというのです。自分の国が根こそぎ引き抜かれていくことを知っているので、反対するというのです。(一九八七・一〇・四、本部教会)
統一教会の文先生が出てきてすることは何でしょうか? 統一教会では、真の父母という言葉を言っています。これは、驚くべき言葉です。偽りの父母が生じたので、真の父母が出てこなければなりません。真の父母は、何をしなければならないのでしょうか? サタン世界の根である間違った血統を正さなければならないし、間違った生命を戻しておかなけばならないし、間違った愛の道を正しく開かなければなりません。聖書に「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」と語ったのですが、そのような逆説的な論理がなぜ出てこなければならないのでしょうか? サタン世界は、死ななければならないからです。(一九八七・一〇・四、本部教会)
2 救援は愛によって
私たちの人生行路が堕落によってねじれたので、これを返り咲きさせなければなりません。人類の世の中にこのことを再現させなければならないのですが、収拾する道を発見することができないので、これを収拾することのできる責任者として、人類を代表して送られた方がメシヤだというのです。メシヤ、救世主です。救世主とは何でしょうか? 失ってしまった愛、それ自体を救ってくれる方です。失ってしまった愛自体を救ってくれるのが、人間アダム一人を救うことより、エバ一人を救うことより、もっと貴いという事実を今日、数多くの宗教人は知らずにいるのです。
それで、統一教会とはいったい何でしょうか? 統一教会は、一つにつくることをするのです。一つにつくるのに何でもってするのですか? 力で? 知識で? 脅迫する力で? 違います。愛、本質的な愛でもってするのです。本質的な愛は誰から? 神様から来なければなりません。なぜ神様から来なければならないのでしょうか? 人間は、愛から生まれました。父母の愛が根になっています。皆さんの根は、何になっていますか? 御父母様の愛です。その愛が神様の愛へ連結されたならば、皆さんの体と心にその根自体、神様の愛の根が定着するようになっています。(一九八六・二・一、本部教会)
3 祝福時代開門
今日、キリスト教でいう父とは何でしょうか? 神様。み子とは何ですか? イエス様。聖霊とは何ですか?聖霊は聖霊なのですね。ハトのような聖霊、水のような聖霊、油のような聖霊、そう言っているのですが、くだらないことをよく言っています。それで、何の神様ですか? 母の神様なのです。母の神様。この母の神様が、霊的に基盤を築いて実体の体をもって来られる主と実体で互いに会うことのできる時が、まさしく子羊の宴をする時なのです。それで、六〇〇〇年間善なる父母の出発を見られなかったのを、六〇〇〇年歴史的終末時代に逆さまに……。これは、偽りの父母になったのです。これはいけませんから、ここから再び来て、この真の父母を中心として、ここからこの模様を再びつくり、世界がこのようになりましたから、これが世界なのです。三十六億が生きているので、これをどのようにしなければならないのでしょうか? 再び生まれなければならないのです。再び生むとは、どのように生むのですか? 既に生まれているものを再び生むことができますか? ですから、接ぎ木する方法しかないというのです。全部野生のオリーブの木になったので、真のオリーブの木の枝だとか芽を接ぎ木するためには、自分の生命を全部捨てなければならないというのです。(図1参照)
それでは、今後の歴史はどのようになるのでしょうか? 新郎になる主が来て、新婦に会って、新郎新婦宗教圏時代が来るというのです。それが何かといえば、真の父母宗教だというのです。それは宗教ではないのです。宗教ではないのです。宗教というものは、その時はなくなるのであり、真の父母に侍ることによって救いを受けるのです。今日、統一教会でいう侍義の救援時代が来るというのです。それゆえに真の父母が語る言葉は、自分が語るすべての言葉の根本にならなければならないし、真の父母の生理的すべての感情は、自分のすべての生理的感情にならなければならないし、真の父母の生活は、自分の家庭の伝統的な文化基盤になければならないのです。
それでは、真の父母を中心とした文化形態がどこにあり、真の父母を中心とした歴史的伝統というものがどこにありますか? 全部サタンの因縁を通じて堕落した後裔として生まれ、整えられた世界であり、文化圏であり、国であり、教会になりました。これを全部、一度掃除してしまわなければなりません。そのためにイエス様が来たのです。それでこれが復帰なのです。
終わりの日には、縦的な歴史を横的に蕩減しなければなりません。そうであるならば、これが下っていくのです。ですから、どのようになるのかといえば、アダムを中心としてエバ、天使長、これがエデンの園の本然の基準なのです。この三人が、神様を中心として全部一つにならなければなりません。天使長も一つになり、エバも一つになり、アダムも一つにならなければなりません。(図2参照)
堕落とは何でしょうか? 全部分かれたことです。今日、歴史はそのようになっています。天使長文化圏時代からキリスト教文化圏時代へ吸収されるのです。その次には、サタン文化圏とは共産圏なのです。ここにおいて、真の父母を中心とした、再臨主を中心とした、真の父母を理想とする文化世界が、世界の終末時代に現れるようになるのです。
そのようになるならば、共産主義も消え去るのです。民主主義も消え去るのです。今日、多くの宗教が主張している世界的な思潮も過ぎ去っていってしまい、最後に残るものとは何かといえば、再臨主として来られる新郎を中心として新婦たちが会う、そのような新しい世界的文化圏時代が来るのです。その世界は、言語も統一、生活も統一、行動も統一、願いも統一、心情も統一された世界です。そのような統一文化世界を通じて一つの世界へ収拾されるので、その基準を眺め見て出発したのが統一教会です。
統一教会は、救いを受けるにあたって、個人としては絶対に救いを受けられないと考えるのです。個人としては天国に行けないのです。一人では行けないのです。原則がそうです。エデンの園のアダム、エバが二人一緒に天国に行くようになっているのであって、夫だけで天国に行くようになっていません。妻だけで天国に行くようになっていません。夫婦が合わさり、家庭が合わさらずしては天国に行けないのです。それが理想であって、父は地獄に行き、母は天国に行けば良いですね? 父、母は天国に行き、息子、娘は地獄に行けば良いですね? それは何の天国なのですか?
天国は、夫婦が行かなければならないのであり、家庭が行かなければならないのであり、家庭のみならず、姻戚、はとこの一族が行かなければならないのであり、その国家全体が行かなければならないものです。全体が行くことのできるその世界が天国だというのです。それが統一教会が行く道です。
統一教会は、個人救援が目標ではありません。ですから、合同結婚式もこの原理原則に一致させるためにするのです。今日、合同結婚式はあざ笑いの対象であり、見物の種と思われていますが、内容を分かってみると、驚嘆すべき業が展開されているというのです。
この宗教時代(天使長圏宗教時代)には、嫁をもらうことができません。イエス様が死んだので二つの輩に分かれたのです。ここから分かれてきたのです。これがキリスト教です。(図3参照)
ここに新郎が来て、アダムが来てエバと一つになり、この夫婦が天使長を愛して神様の前へ帰っていかなければならないのです(図4参照)。歴史はそのようになっています。
ですから、今からは天国でも結婚時代に入っていくのです。地上で比丘(注:出家して僧になった男)が勝利するのか、妻帯僧が勝利するのかというとき、妻帯僧が勝利する時が来たというのです。カトリックの神父、修道女が残されるのではなくて、今からはカトリックもそのまま行っては、全部地獄に行くというのです。今、天地の運勢が新郎新婦の因縁を探し求めることのできる時が来たというのです。カトリックも嫁に行き、嫁をもらわなければならないという時が来たので、結婚することに反対していては、そのまま丸ごと滅びてしまうというのです。それで統一教会は、滅びないと、新郎新婦を探し求めて祝福してあげるのです。ですから、イエス様が雲に乗って来てそれでよいのですか? 幻として来てそれでよいですか? そのように来るのであれば、来ても来なくても同じなのです。(一九九一・一〇・三、前本部教会)
4 統一圏の成就
メシヤが来るのですが、何をするために来るのでしょうか? 統一圏を成すために、ひっくり返すために来るのです。そのために、どこに乗って来るのかといえば、今後、新しい宗教である、統一するという教会を中心として来るのです。(一九八九・三・五、本部教会)
メシヤ、真の父母とは何かといえば、堕落した世界がどれだけ過ったとしても本然の心情をもって愛そうとするのです。個人をそのように愛そうとし、家庭をそのように愛そうとし、氏族をそのように愛そうとし、国をそのように愛そうとし、世界をそのように愛そうとします。どれだけ過っても許し、愛そうとします。それなのに全部が反対します。そのような反対を受けるとしてもそれに心をとめずに愛したという基準を通じて、個人を越え、家庭を越えて、氏族を越え、国家を越え、世界を越えて統一の世界へ行かなければなりません。これがメシヤの使命であり、真の父母と神様の責任です。(一九九〇・七・一五、アメリカ)
5 霊界解怨
真の御父母様がしなければならないことは何かといえば、条件的にでもあの霊界のふさがれていたものすべてを地上で、一番底から蕩減することです。歴史的な全体を代わりに蕩減する過程を経なければなりません。条件的に八段階の形態を中心として、これを世界的な八段階に全部連結することのできる、条件的な核を中心として蕩減しなければならないというのです。そのような業を四十年間してきたのです。(一九八七・五・一四、アメリカ)