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第三章 根本復帰と長子権設定

第一節 根本復帰

 堕落によって私たちは、サタンの血を受け継ぎました。人間始祖アダム・エバがもし堕落しなかったならば、罪のない神様の子女になったはずですが、堕落によってサタンの子女になってしまったのです。元来、人間は、神様にのみ主管されるようになっています。神様だけが人間の主人にならなければなりなせんでした。ところが、人間とサタンが不倫の関係を結ぶことによって、サタンが人間の主人になってしまったのです。

分立摂理の公式

 愛は、統制力、支配力を随伴するものであると原理は教えています。それで、たとえそれが不倫の愛であってもサタンは人間に対してその所有権を主張する権利をもっているわけです。しかし、創造原理によれば、どこまでも神様が人間の本来の主人であるので、結局、神様とサタンは共に人間に対してその所有を主張することができるようになりました。だからといってアダムを二つに切って、神様とサタンが分けることは物理的に不可能です。それで神様は、原理的観点から人間を二つに分立するために、あるルールを定めたのです。すなわち、内的存在としての神様と、外的存在としての被造物という立場から、内外の関係と、主体、対象の関係によって神様は、その分立のルールを定めました。すなわち神様は、堕落したアダムとエバを、彼らから生まれた二人の子供を通じて分立するようになったのです。

 カインはサタンを表示する表示体であり、アベルは罪のないアダムの立場を表示する表示体です。次男(アベル)を神様は、内的立場に立てたのです。アベルは、悪の要素が少ない側、言い換えれば、アダムとエバの間に結ばれた第二の愛を表示する表示体なのです。

 アベルは、二番目の愛の実です。カインは一番目の愛の実であり、サタンを表示する表示体なのです。それで、次男であるアベル――エバと天使長との関係よりも、エバとアダムとの関係がもっと近いゆえ――を神様の側で取ったわけです。

 ところで、本来の命令系統は、神様から始まりアダムへ、そして、アダムから天使長に至るのが順序だったので、この場合には神様からアベルへ、アベルからカインに至るという順序にならなければなりません。これが復帰の位置であり、関係です。そこから神様はまず、この公式を復帰することによって失ってしまった原理を探し求めていくのです。

 堕落行為によって人類の血統は、交差しました。言い換えれば、サタンの血が人類の血統を占領しているのです。そのようなわけで、このような復帰は、根源までさかのぼっていってなされなければならず、それゆえに次男アベルが長男の長子権を復帰しなければならなかったのです。

 堕落は、母親の胎内から始まりました。ゆえに復帰も母親の胎内からなされなければなりません。そこが悪の根源地になり、出発点になったので、復帰においてもその原因へ後戻りしていかなければならないのです。それで神様は、これら二人の兄弟を表面に立てて長子権を復帰する摂理を行おうとされたのです。すなわち、カインはアベルの位置に下りていかなければならないし、アベルはカインの位置、すなわち、長男の位置へ上がっていかなけれけばならなかったのです。しかし、カインはアベルを殺してしまいました。この行為は、アダムとエバの時の堕落行為の反復です。すなわち、復帰されるどころか、再び天使がアダムを主管した立場に立ってしまったのです。ここは、なかなか理解するのが困難な部分なので、図によって説明しましょう。

 このように年の差がある兄弟をもってしては、あまりに距離があるので、神様はもっと近い人を求めるようになりました。すなわち、この復帰摂理をもっと近い基準、根源に近い基準で行おうとしたのです。最善の方法は、カインとアベルの生命を戻して母親の胎内にまで立ち返らせることなのですが、それは物理的には不可能です。

 これは、中央で重なるのと同じ形態になっています。TとUは、互いに一致するのです。Tの部分は、Uの領域に反復されているのです。

 それで、神様の摂理は、エサウとヤコブ、双子の兄弟を通じて現れるようになりました。カインとアベルに対して適用したのと同じ原理なのですが、ヤコブは、兄エサウの位置へ復帰されなければならないし、エサウは、弟ヤコブの位置へ下りていかなければならないのです。双子の兄弟の母は、リベカでした。彼女が身ごもっていた時、その胎内で二人の子供は互いに争いました。それで彼女は、神様のところに行って、神様に問いました。神様は、「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から分かれて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」と語りました。

 ヤコブは、讒訴を免れる条件を立てていました。パンとレンズ豆のあつものを与えてエサウから長子権を買い受けることができました。それで、ヤコブがエサウから長子権を奪っても、サタンは彼を讒訴することができなかったのです。そうして長子権は復帰され、父からの祝福はヤコブに与えられたのです。しかし、エサウはあまりにも腹が立って、かつてカインがそのようにしたようにヤコブを殺そうとしたのです。

ヤコブの使命

 ヤコブは、失ったアベルの位置と同様に、アダムの位置までも復帰しなければならない立場にありました。ですから彼は、二十一年間ハランへ逃れていかなければならなかったのです。そのために彼は、その間、自分のすべての使命を完全に果たすことができずにいたのです。二十一年後、彼は富を蓄えて、故郷であるカナンの地へ戻ってきました。堕落の過程を見るならば、母がその堕落行為を先導し、息子がその行為を完結したので、母子が協力して人間に堕落をもたらしたことになります。そのようなわけで、復帰の過程においては、その反対の経路を歩んでいかなければなりません。それで、ヤコブの時には、母リベカと次男ヤコブが目標達成のために協力したのです。

 堕落の過程を見るならば、エバは父(神様)に嘘を言い、自分のお兄さんであるアダムに嘘を言いました。それゆえに、復帰においてもリベカは、ヤコブが祝福を受けるようにするために夫に嘘を言い、長男に嘘を言ったのです。二人の兄弟の父イサクは、神様の立場であり、その息子エサウはカインの立場です。

 このようにして基台は立てられましたが、まだ実体としての復帰はなされませんでした。すなわち、その時にはヤコブの母は、その使命を完遂していましたが、次はヤコブの番だったのです。ヤコブの使命とは、天使によって侵害されたアダムの位置を復帰することであり、また、カインによって殺害されたアベルの位置を復帰することでした。そしてヤコブは、エサウの位置へ戻っていき、ヤコブの位置へ下りていったエサウを屈伏させなければならないのです。

 それでは、二十一年後のヤコブの使命とは何だったのでしょうか。皆さんは、アダムがどのようにして失われていったのかということを考えてみなければなりません。なぜならば、そのアダムの位置の復帰が、第一に重要な彼の使命であるからです。アダムは、天使に主管されていたのです。それゆえにその立場を復帰するためにヤコブは天使と戦わなければならなかったのです。これがヤボク川で起こったことです。彼は、天使と一晩中争いました。その結果、何が起こりましたか? 天使は、ヤコブの勝利を認め、彼を祝福したのです。このようにして本然の位置は復帰されたのです。

 それでは、天使はなぜヤコブを祝福する前に、彼のもものつがいを打ったのでしょうか。人間の堕落行為は、体のその部分、すなわち、もものつがいを過って使うことによってもたらされたのです。そのようなわけで、その罪を犯した部分を打つことによって蕩減は完遂されたのでした。すなわち、旧約聖書にある、「目には目を、歯には歯を」という法則が行われたのです。そのようなわけで、天使はヤコブを祝福することができたのです。

 ヤコブの二番目の使命とは何でしょうか? 一番目は天使に勝つことです。それゆえに勝利、すなわち、内的勝利をすることによってアダムの位置は復帰されました。その次にその条件のもとで彼は、アベルの位置を復帰しなければならない立場にあったのです。そこからヤコブは、二十一年後にハランから戻ってきて、兄エサウの心を和らげるために自分の全財産を贈物として与えて、自分はただ兄から祝福を受けることを要求したのです。それゆえに、兄エサウは彼を受け入れ、歓迎したのです。

 このようにしてエサウは、弟の位置へ下りていき、ヤコブは兄の位置へ上がっていったのです。そのようなわけでヤコブは、彼の孫、すなわち、ヨセフの子供を祝福するとき、腕を交差させて左手を長男マナセの上に、右手を次男エフライムの上においたのです。ヤコブはエサウの位置を復帰していたので、そのようにすることができたのです。

 聖書によるならば、ヤコブの性格は、大変狡猾に見えます。なぜ神様がこのような狡猾なヤコブに恵みを与え、用いられ、また祝福なさったのでしょうか? それは少し変ではありませんか? しかしそれには、次のような理由があったのです。原理が次のような解答を与えています。それは、ヤコブがこのようにして神様から受けた使命を完遂した立場に立っていたからです。

 皆さんは、このようなことが信じられますか? そうでなければ、これは先生がつくり出したものだと思いますか? このような事実は、数千年前に起こったことです。けれども、原理が解かれるまで、誰一人としてその真なる意味を知る人はいなかったのです。

 このようにして、この図(前述)のD点からイスラエルという名前が出発しました。しかし、ヤコブが勝利の基台を立てたとしても、まだこのEにおいてはその元来の立場へ戻っていけなかったのであり、それゆえに、再びこの位置まで復帰してくる道を通過しなければならなかったのです。すなわち、この距離Dを復帰するためにまた一つのことがなされなければならなかったのです。もし、神様がその摂理をヤコブの年齢、その時点でとどめてしまったならば、ヤコブのその時の年齢以下の基準は、復帰されないままに残されるようになるのです。

 神様の摂理がヤコブの時に始まり、彼のある年齢で完成されたと仮定してみましょう。そうだとするならば、完成された時のヤコブの年齢以上のすべての世代は、この条件によって復帰されますが、その年齢以下の世代、すなわち、たった今生まれた赤ん坊から中年に至るまでの世代は復帰されず、流れていってしまうのです。そのようなわけで、さらに徹底した摂理が根源地、すなわち、母の胎内から始まらなければならないのです。

タマルによってなされた腹中復帰摂理

 このようにして、神様の第三次の摂理はもう一度、堕落の根源地である母の胎内から始まったのです。最初の母エバは、神様のみ言を信じなかったので堕落し、そのエバの位置を復帰しなければならないタマルは、反対に神様に対する絶対的信仰を貫徹しなければならなかったのです。それゆえに彼女は、自尊心も誇りも忘れてしまい、さらには生命までも捨てる覚悟をしなければならなかったのです。エバは、不信仰によって父である神様を捨て、その代わりにサタンを父として受け入れて神様の立場に置いたのです。そのようなわけで反対にタマルは、父である神様と共に歩まなければならなかったのです。エバは、父と一つになることができませんでした。これが堕落だったのです。そのようなわけで、タマルは父と一つにならなければならなかったのです。

 ユダは、タマルの義父でしたが、それは父の立場でした。父と一つになることによって彼女は身ごもりました。結局、タマルは義父によって息子を身ごもったのです。創世記第三八章を参考にして再び見てみましょう。ユダには三人の息子がおり、タマルは、その長男の妻でした。しかし、彼女の夫は死に、このような場合、普通ユダヤの慣習としてはその次男によって息子を生まなければなりませんが、次男も死にましたし、三男はあまりに幼かったのです。それでタマルは、神様の復帰されてきた血統を継承することが、何より重要であり必要なことであると考え、義父ユダによって子供を身ごもるという最後の手段を使わなければならなかったのです。その時、彼女は誇りも捨て、生命までも投げ出す覚悟をしたのです。

 タマルは、自分の使命を完遂するために命を懸けたのです。そうではありませんか? 彼女は、神様のみ旨をなすこと以外には、何の目的も、何の考えもなかったのです。このようにしてタマルは、エバと全く反対の経路を歩むことによって堕落したエバの位置を復帰したという条件を立てたのでした。

 この事実は、神様のみが知り、神様以外には誰も知る人がいなかったのです。皆さんは、その隠されてきた謎と秘密をわずか三十、四十分で知ることができるようになったので、最高に恵みを受けた幸運な人たちなのです。

 このようにしてタマルは、双子を身ごもりました。神様は、二〇〇〇年間その瞬間を待ってきたのです。出産の時が来て長男ゼラがその手を押し出したので産婆は、その手首に赤い糸を結びました。これは、終わりの日に共産主義が先に現れることを象徴的に予示したのです。これは、七〇〇〇年の歴史(六〇〇〇年の復帰歴史+千年王国=歴史の完成)の象徴としてサタン的共産主義の歴史が七十年目に滅亡するということを表しています。一九七八年という数字が出てくる理由はここにあります。すなわち、共産主義は、一九一七年(ボルシェビキ革命成功の年)に始まったので、大体その時から六十年間持続してピークに至り、その一九七八年を境界としてそののちは下り坂を歩むようになり、七十年が過ぎるならば絶滅するというのです。これは、真実です。そのようなわけで今は、共産主義を学んでいる人たちがそれを捨てて離れる時です。

 ところで、争いは母の胎内で起こりました。次男ペレヅは、ゼラを押しのけ先に出てきました。この復帰、この逆転は、母の胎内で起こったのです。イエス様がユダの血統から生まれなければならないという原理は、この点において立てられたのです。

 それで、この一点からカインは下へ下っていき、アベルが上へ上がっていったのです。そして、この点から歴史は再び広い範囲、つまり家庭から氏族、氏族から民族、民族から国家基準へ進行してきたのです。それと同時にサタン世界の拡大もまたそれに平行してなされてきました。それで、この二つの異なった陣営は、国家的基準まで進行し、二個の異なった地域に分立されているのです。図(前述)のFは、イスラエルの歴史であり、Gは、イスラエル民族を表しています。

 サタン世界は、家庭的基準から氏族、民族、国家的基準まで拡大してサタン国家を形成しています。小さい家庭的基準から氏族的、民族的基準へ拡大している円のHは、カイン国家です。したがって、Gはアベル国家、つまり、イスラエル選民国家であり、やはり家庭から氏族、民族、国家へと拡大されてきたのです。神様は、イスラエル選民、その一つの国家を形成することを二〇〇〇年間待ってきたのです。サタンが既に一つの国家を形成していたので神様は、二〇〇〇年の間待たなければならなかったのです。

 それゆえに神様の国は、サタン国家よりも優秀でなければならないのです。しかし、イスラエル民族は、家庭的基準から氏族、民族、国家的基準へ歴史路程を通過する過程で多くの過ちを犯しました。

真の父母によって完全復帰されなければならない

 洗礼ヨハネは、メシヤが来ることができるようイスラエル民族が犯したすべての過ちを清算し、その基台を復帰しなければならない使命をもって来たのです。洗礼ヨハネは、カインの立場で現れ、一方、イエス様はアベルの立場として来られました。そして、洗礼ヨハネと一体になったイスラエル選民には、主体的な立場で、イエス様はメシヤとしてこの民族の上に来られたのです。一方、イスラエル民族がイエス様と完全に一体になったならば、彼らは絶対的な主体(イエス様)の前に絶対的な対象となり、決して破壊され得なかったのです。

 このように出発した神様の摂理は最後に絶対的主体と、絶対的対象であられる真の父母によって頂点に至り完成するのです。

 イエス様の時は、イエス様が十字架にかけられたので、肉身をもった真の父母は実現されませんでした。すなわち、神様の血統は立てられたのですが、霊肉を一つにした真の父母の顕現は実現されなかったのです。図は、キリスト教の歴史を表していますが、それは霊界にのみに限定されており、霊的救いのみがなされてきたのであり、肉的救い、すなわち、肉身の贖罪は実現されなかったのです。結局、今日までキリスト教には霊的な父と霊的な母しかいなかったのです。それゆえに真の父母が来られるならば、私たちはすべてその父母によって霊肉共に再び生まれるために、条件的あるいは象徴的に母の胎内に入り、新しい生命として再び生まれなければなりません。私たちは、そのための路程を手探りしながら歩んでいるのです。

 今日までのキリスト教においては、聖霊は母の役割をしてきました。私たちは母の霊である聖霊を通過して父の霊、すなわち、イエス様の霊を通過して霊的基準で新しく生まれなければならないのです。

 もちろん、私たちは母の胎内から生まれたわけですが、さらに一歩さかのぼって考えてみるならば、生命の起源は、父から出発するのです。母の胎内にまでさかのぼっていくことによって血統は交差し、復帰されましたが、この場合、まだ父を迎えずにいます。そのようなわけで今日までクリスチャンたちは、母の霊である聖霊の力によって生命の根源、すなわち、生命の起源であり父である、来たるべきキリストのもとへ戻っていくことを望み、待ってきたのです。堕落する前に既に息子と娘の生命は、すべて父であるアダムの体の中で一つの種として出発していたわけです。息子や娘になる種は、父の体の中にあるのです。

 このように根本的に考えてみるならば、私たちは、霊的にのみ生まれるということでは満足できません。霊と肉、つまり霊肉が一緒に生まれなければならないのです。ですから私たちは、霊肉が一緒に再出発するために種の立場にまで戻っていかなければならないのです。その摂理を成就するためにイエス様は、真の父母になる新郎と新婦として来て、その真の父母を通じて私たちは再び蒔かれる種へ戻っていき、新しい生命として、この世の中に正しく生まれることを約束されたのです。それゆえに、私たちが再び生まれるときには、一つの新しい復帰された生命として生まれるのです。そうであるならば、今まで語ってきたことから見るとき、再臨主、すなわち、新しいメシヤは必要なのか必要でないのかが、自然に分かるようになるのです。

  復帰された真の子女の立場に立とうとするならば

 イエス様の時に完全に復帰されなかったので、そのまま今日まで拡大を続け、世界的な範囲まで拡大されてきました。それゆえ終わりの日には、世界は二つに分けられ、一方はサタンを代表し、もう一方は神様を代表します。それ以外のものは存在しません。そして、その終わりの日には、大きな混乱と危機があるのです。新しいメシヤは、これらすべての背景と基台を相続しなければなりません。新しいメシヤは、霊的にイエス様の体の中にある種の立場にあるクリスチャンのすべてのものを相続しなければなりません。

 クリスチャンは、まだ完全に生まれなかったのです。それゆえに彼らは、イエス様の体の中にある種と同じものだといえます。しかし、彼らがこのような要素をもっているのは、どこまでも霊的のみであるので、まず、実体である父が初めに現れ、基台を立てるようになるのです。図の中のEに基台を立てるようになるのです。図の中のEでは、母がその使命を遂行しましたが、Jにおいては父がその使命を帯びているのです。

 このようなわけで、誰にでも、母が現れる前に真の父と一体化しなければならない七年期間があるのです。それゆえに皆さんは、まだ結婚していない完成したアダムの体の中にある種の立場へ戻っていかなければなりません。根源へ後戻りしなければならないのです。

 つまり、私たちはすべて、堕落しなかった人間である父から出発しなければならないのです。結局、堕落しなかった独身であるアダムの体から出発した種が、母の胎内にとどまらなければならないのです。そこにある種は本物であり、私たちはその位置へ戻っていかなければなりません。そして、真実そのことは、統一教会によって成されるのです。

  天的四位基台

 イエス様は、イスラエル民族に排斥されたので、そのイエス様の位置を復帰するために再臨の時には困難なことが残されているのです。もちろん、既に肉身をもって生まれ、成長してしまった私たちは、文字どおり完成したアダムの体の中の種の立場へ後戻りすることはできません。それゆえに私たちは、真の父母およびその父母から生まれた真の子女と一体化することによって、新生するための条件を立てていくのです。カインがアベルに完全に屈伏することによって両者はすべて復帰されるという原理があるので、この原理によって私たちカインの立場にある人は、アベルの立場である真の父母、罪のない真の子女と一体化しなければならないのです。彼らと一体化することによって私たちは、復帰された子女として同じ恵みを受けることができるのです。そのようなわけで罪のない真の子女が真の父母を通じて生まれるようになるとき、私たちは飲食物とその他の同じ成分のものを分けてもらったという条件を立てなければならないのです。このようにして私たちは、真の子女の立場に参与する路程を通過していかなければならないのです。

 皆さんは、誰を通じて真の子女と一体化し、新しく生まれる子女として条件を立てるのですか? 父だけでは十分ではありません。真の父母を通じなければならないのです。どれだけ父が重要だといっても父だけではなく、父母とその子女を通じなければならないのです。それでは、女性は誰を通じて? もちろん真の子女を通じてです。真の父母は、真の息子と真の娘をもっています。女性はすべて、真の父と真の母と、その真の娘と一つにならなければなりません。

 それでは、男性は? 真の父母と真の息子と一つにならなければなりません。女が先に堕落したので女の復帰が先になされ、その次に男の復帰がなされるのです。それでは、最初に復帰された女の立場に立つのは誰でしょうか? それは、真の父母から一番初めに生まれた娘なのです。最初の男は、真の父母から二番目に生まれた子女としての息子です。このようなことは骨子であり、とても簡単な説明です。このような説明の背後には、大変深く、複雑な過程があることを知らなければなりません。

 このような罪のない真の子女の誕生によって天的四位基台は、歴史上初めて復帰されるのです。これが、私たち統一教会における天的四位基台の復帰です。そして、サタン世界のいかなるものもこの基台に連結され得ないのです。選民国家が復帰されなかったので、天的四位基台であるこの一点から始まり、家庭的基準から氏族、民族、さらに国家的基準へ拡大されていく路程を通過しなければなりません。その中心核となるのは、天的四位基台が造成された天的家庭なのであり、そこに立てられる国家こそ最も強い無敵の国家であり、それこそイスラエル国家が成就できなかった国家です。その国家は他のすべてのサタン主権に打ち勝ち、外的世界の中心として立つようになるのです。

 図のLは、サタン世界を表しています。一つの天的国家が復帰されるならば、それは二つの主権へ拡大され、三つ、四つ、結局、全世界をみな覆ってしまうまで拡大されていくのです。そして、その天的国家に属する民族は、自動的に何もかも一緒に復帰してしまうのです。その一つの神様の主権を復帰するまでは、絶頂を行くような路程を通らなければならないのです。一つの国家、主権を復帰するところまで行かない限り、いかに多くの復帰の聖業を成したとしても、もし、サタン的元首、あるいは、その政府が立つようになるならば、すべてのものは崩れていく可能性があるのです。

  私たちの最も急を要する任務

 それゆえに神様の主権を復帰することが私たちの最も急を要する任務なのです。そのことのために私たちは、真の父母と絶対的に一つにならなければなりません。そして、韓国、日本、それ以外の全世界の食口たちと完全に一つにならなければなりません。

 このような過程を通して皆さんは、この復帰の道がいかばかり困難な道であったかということを悟るでしょう。

 イエス様は、ニコデモに対して、「あなたは、新しく生まれなければならない」と語りました。これに対してニコデモは、「人が年を取ってから生まれることができますか? もう一度母の胎内に入っていって生まれることができますか?」と反論しました。するとイエス様はさらに、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことが分からないのか」と語りました。イエス様は、正にこの原理を語っておられたのです。

 キリスト教でいう復活と新しい生命という言葉は、すべてこの同じパターンを意味しているのです。図のE点、すなわち、血統復帰の位置は、結局、母を通じてなされ、汚された血統は天の血統として復帰されるのです。しかし、私たちが完全な新しい生命として新しく創造され、根本的に新しく生まれるのは真の父を通じて、すなわち、真の父の体を通じて初めてなされるのです。それゆえにその新しい創造の時から、霊肉が一緒に贖罪を受ける完全な救いが可能になるのです。このようにして私たちの子女たちは、救いの過程を通じなくとも天国に行くことができるのです。(一九七二・四・一、パリ教会)