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四 侍る生活の事例

1 生活の事例

先生がどこかに行くというときは、皆さんは千里の道も遠いといわずによく歩いて回ったでしょう。三ヶ月前に家でよもぎ餅を作って、その餅が汚くならないようにと、ほどきもせず、本部まで背負ってきて、先生に差し上げるんだといって、見てみろというようにほどいてみると、餅が酸っぱくなりかけて、青カビが生えていたこともあるでしょう。そのように餅に青カビが生えて、ウジがわいてもいいのです。その餅は食べることはできなくても、億千万にも該当するのです。そうであるほど、情がわいてくるのです。

また、釜山の影島に住むある老人がいました。そこからチャガルチ市場に行こうと思ったら、船に乗らなければなりません。そこでその老人が、チャガルチ市場に行くために船に乗っていく途中、大きな船を見て、「ああ、あの船に先生をお迎えして、世界を遊覧できたらどれほどいいだろう。」と思いながら、これからはそうなるだろうと考えたというのです。そして、生き生きとした魚を見ては、その魚のしっぽをつかんで泣いてもみたというのです。そのような心が必要だというのです。

そういう環境においてもそうできるというのは、真の愛を持っているからなのです。真の愛を持っているために、気質的にそのような老人は愚かに見える傾向があります。道理に合わない鉤のような性格を持っているのです。

愛というものは、愚鈍で間抜けなものです。何の成り行きも分からないのです。そうじゃないですか? 本当に愛するのならば、横でだれが見ても見なくても、関係ないというのです。だれかが見ていることを意識した愛は、限界圏内の愛なのです。だれが見ていようといまいと、意識しないでいられるそのような境地の愛が、どんなにバカ正直で間抜けかということです。

あるときには、山奥で掘ったトラジ(桔梗の根)を先生の前に持ってきて、涙を流すのです。そのようなものが霊界に行って、その老人を解放することのできる良い材料となるのです。(三三・一一三)

許浩彬の集団で侍るのに、どれだけの精誠を尽くしたか? 皆さんは夢にも想像できないことをしました。天に侍る礼法を果たすために、どれだけの精誠を尽くしたか? 天の王子として、この歴史の父母として来られるその方、六千年の恨を抱いてこられるその方、堕落した我々後世によって歴史的に残ったその方の恨を、精誠を尽くしたその土台の上で解いてさしあげなければなりません。一代で解いてさしあげるべきこのような使命を神様が教えてくださり、侍ることのすべてを教えてくださいました。ですから、その集団を信じる人の家には、いつでも主が訪ねて来られれば、朝食、昼食、夕食をもてなしてさしあげられる準備をして待っていたのです。そこで尽くした誠は、一言では言い表せないものです。

また、敬礼をどれくらいしたのか? 三千回は普通で、七千回までしたというのです、七千回。分かりますか? 敬礼を七千回しようと思ったら、一〇時間はかかるでしょう、七千回しようと思ったら。それなのに、朝から、あるいは夜明けから始めて、ご飯も食べずに七千回の敬礼をしながら侍る生活をしてきた集団が、この行くべき道をつかむことができずに、壊れていってしまったのです。

天の準備された伝統的な歴史でしたが、みんな流れていきました。しかし、それは天の深い事情であるので、これからは天法を中心として、私たち後世でこのような精誠とともに神様に侍っていかなければなりません。このような歴史的事実が葬り去られてしまったということを、皆さんは知らなければなりません。

先生自身がそのような誠を尽くして、復帰の道を来たために、皆さんがこの復帰の道を準備するためにおいては、それよりも一〇倍、一〇〇倍の代価を払うべきなのです。このような観点から見るときに、みなさんの血肉、細胞と骨髄が、いつも侍る感情を忘れてはいけないのです。また、このような位置でいつも神様に侍りつつ行かなければならないのです。これが統一教会の信徒たちがしなければならない生活だということを知るべきです。(二三・三〇一)

2 お写真を持ち歩きなさい

この写真はだれの写真ですか?(笑い)ん?(ファーザーです)。だれがファーザーですか?(笑い)悪名高い人でしょう。これは何ですか?(IDカード)。何のIDカードですか?(勝共連合のIDカード)。これを韓国で作って、七〇〇万の勝共要員はみんな持っているのですか? なぜ、これを作れといったかというと、この写真を持っていれば霊界の先祖たちが、たくさん協助することができるからです。今、時は神様が主管できる時代に入ってきたのです。神様が主管できる時代に変わっていく時なのです。分かりましたか?(はい)。

この写真がこのような効果をもたらすために、今回も…。それではこういう写真はどうですか? 霊界はこれを好みますか、これを好みますか?(大きい方です)。見なさい。霊界はこれが好きなはずなのに、日本人やアメリカ人はこれを好むのです。このように違うのです。この二つのうち、これにするという人と、これにするという人では、それだけ差が大きいのです。イスラエル民族がエジプトから出てくるとき、扉の横の柱に血を塗って災いを逃れたのと同じで、写真を持っていれば、そのようなことができるかもしれないのです。霊界は先生の写真をいくらポケットにいれておいても、分かるのです。こんなに小さいものを持っていたら、柱に血を塗っておかなかったり、途中で塗るのをやめてしまったのと同じことです。どういうのにすれば良いですか?(大きい方です)。(笑い)

日本の人たちはこの大きなカードを見るたびに戸惑っています。「一体、文鮮明という人はどんな人なんだろう?」と言うのです。けれども、日本の食口たちは経験したでしょう。先生の微笑みは、モナリザの微笑みと同じくらい神秘的なところがあるということを経験したでしょう。(笑い)あるときはこうで、またあるときはああで。しかし、ほとんど確信しているのです。数十万種類の姿に見えても、この神秘的な姿が霊界で皆さんを協助できるようにしてくれるという経験を大部分しているだろうと思うのです。どうですか? そうですか?(はい)。霊界の霊人たちは、皆先生のことを良く知っていますが、この写真を見れば霊界が喜ぶでしょうか、喜ばないでしょうか?(喜びます)。これについて回ります、ついて回るのです。皆さんの先祖たちが、これを媒介体として連結されうるのです。そのような良い材料を知っているというのです。

この写真を持って歩くときには事故も起こらないし、何の故障も起こらないのですが、これを置いていくとそのようなことがすぐさま起こりうるのです。そうすることによって、写真がどれほど貴いかということを皆さんが悟るような出来事が頻繁に起こってくるのです。これを愛して枕元に置いて寝れば、夢見が悪くないのです。そういうことが起こりうるというのです。それ、信じられますか?(はい)。ドクター・ジョセフは「神は神秘的な方法で役事される方である!」と、言うけれど、(笑い)そう、先生は神秘的な人なのです。そうなのです。だれも私を理解することはできません。どんなに研究してみても分からないのです。ですから、レバレンド・ムーンは何ですって?(神秘的な人です)。神秘的な人! ですから神様が先生について回るのです。それがまさしく神秘的だということになるのです。

私たちは先生が霊界との仲介者だということを習いました。一人暮しの女性が自分の夫に会いたくなるときには、先生の顔を見ればその会いたい気持ちがなくなることもあります。(笑い)。ああ、生きている男に対してもそうなのです。生きている男も、会いたいと思うとき先生の写真を見れば、そのような考えは浮かんでこないのです。だからといって夫と遠くなるのではなく、近くなるのです。男も同じです。

さあ、ですからこれを持つようにするのがいいですか、持たないようにするのがいいですか?(持つようにするのがいいです)。だからそれは好きなようにしなさい、好きなように。それで私は世の中にはないIDカードを作るようになったのです。世の中にはないでしょう? アメリカの大統領、アメリカの国民は、アメリカ大統領の写真のあるIDカードを持っていますか? 歴史以来このようなIDカードについては初めて聞くし、初めて見るものなのです。イエス様はこれを見たでしょうか?(見ませんでした)。これは歴史上初めてなのです。(一三二・一九〇)

今やレバレンド・ムーンの名声は国境を越えました。至る所にいる為政者たちの中には、自分の書斎にレバレンド・ムーンの写真を掛けて崇めている人が多いということを私は知っています。尹博士も私の写真を掛けているの? 毎日何してるの? 挨拶してるかな? 毎日キスするの? 情熱的でなければなりません。キスすべきでしょう。そうしたからといって失礼だというわけではありません。自分のお母さん、お父さんにはキスできなかったのに、神様の愛に代わってキスしてあげることによって、お父さん、お母さん、霊界に行った人たちが、自分がキスした勢いで同参権、同位権を持ち、自分が行く所についていけるような因縁を残すためにこうするのだといえば、神様は「ノー」と言われないのです。「そうか、おまえの言葉が正しい」と言うのです。どうですか? 尹世元、そう思うでしょう? 「はい、そう思います」。。そう思いなさい。(一七一・二三九)

今日から皆さんは先生の写真を持って歩くのがいいのです。そうすればどんな困難に遭ったとしても、皆さんが無事に耐えられるように保護してあげられるでしょう。旧約時代、モーセがイスラエル民族をエジプトのパロ王から脱出させ、カナンに導くために奇跡を行なったとき、長子が禍を受け病気で死んでしまいましたが、羊の血を門の柱に塗った家は、その禍がすべて避けていったのです。霊界では私たち人間のすべての行動を見ることができるだけでなく、保護してくれることもあるのです。(一九八四・二・七 、 一三〇・二九〇)