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三 肉身復帰

1 堕落した結果の肉身と霊人体

イ)肉身

肉身はサタンが活動する基盤。

肉身は悪の基地であり悪の根。

体はサタンの国の王宮。

血と肉は怨讐サタンの要素。

体は生活を調節し、一生を同伴。

(五二・三〇四、三八・二七一、四七・二七一、一〇・九六、三五・九一)

ロ)霊人体

心霊は神様に属するものを指向。

良心は天国の哨所(歩哨が立つ所)。

怨讐の血が体にあって、心の基準がサタンに押さえこまれている。

心は生涯を調節し、永遠を同伴。

(五二・三〇四、四七・二七一、一〇・九四、三五・九一)

2 堕落した肉身の性向

 肉的な面はいつも霊の道に喜んで従おうとはしません。心と体が闘うときには、いつでも体の方が先に心に対して闘いを挑んでくるのです。体は私たちをして肉的欲求を追求させるように刺激して、自分のために生きろといいます。また、体はしきりに上がっていこうとし、おごり高ぶろうとします。食べさせてやればとめどもなく食べようとし、休ませてやればとめどもなく休もうとします。また、体はゴツゴツしたものを嫌い、ぽっちゃりして、つるつるして、ふわふわしたものを好みます。また、頭を垂れるのを嫌がり、犠牲奉仕を嫌います。(五二・三〇四、五二・三〇五、一八・三一四、六五・七三、三八・二七一、一八・六八)

3 心と体の力の比率

今までは、堕落した人間の心と体が闘ってきましたが、その比率は互いに似たり寄ったりでした。その比率が一〇対八ぐらいでした。体が対している環境は、世界全体と接していますが、心が行くべき道は一つの道しかありません。堕落した世界に対する人間の体は、時々刻々環境に占領されてしまいましたが、心は一つの道に従ってきたのです。それゆえ、現実世界は現れる結果を取り締まってきたのです。

悪いことをしようとするとき、心に恐怖が訪れます。そうして、それを行うようになれば、今まで積んできたものが崩れます。これを見るとき、心は肉身の行動を最初から、序盤から干渉しますが、終盤に至っては肉身に支配されるのです。それゆえ、外的な比率で見れば、一〇対八ぐらいですが、環境のために心が体にいつも押されてきているのです。(一八・六六)

今日この善悪の世界は、個人に蒔かれたものが、だんだん拡大して、世界に実を結ぶために、結局自分一人を展開したものです。今日、このような社会環境の中で、私たちは生きています。私たちはこのような囲いの圏内で生きていくのです。これが人生です。

ここでの自分の範囲が、どれほど大きいかが問題です。ある人は、このように行き、ある人は、これと反対に行くこともあるでしょう。皆さんはまた、自身の先祖がたどってきた道を行くのです。それが悪の側に行くのは、体に従うことであり、善の側に行くのは、心に従うことです。

では、ここで個人が出発するにおいて、一〇〇を基準にするとき、心を中心とした善が五〇を越え、六〇ほどに該当するようになれば、その氏族を通して世界は支配されるでしょう。宗教は今まで、何をしてきたのか? この世の中で、征服すべきことがたった一つあるけれど、それは家庭を征服するのではなく、民族を征服するのではなく、世界を征服するのではありません。すなわち、自分を征服するのです。それで、宗教は自分を征服するために生まれてきました。皆さんは、これを知るべきなのです。いつも自分自身は善悪の境界線にいるのです。

では、皆さんがここから出発するにおいて、どのように行くべきか? 各自が指向する量が一〇〇とするとき、そこで体と心が五〇対五〇ではいけません。そのような人は中間霊界にとどまるようになります。緩衝地帯にとどまるのです。分かりますか? もし、体が六〇ならば、間違いなく地獄に行きます。地獄はどんな所か? 陰になる所です。天国はどんな所か? 輝く所です。そう分かればいいのです。そのような人は、必ず陰になる所に行くのです。ここは下がれば下がるほど、暗くなります。(三七・一二一)

4 肉身復帰

イ)肉身復帰のための姿勢

体がしようとする通りにしては、絶対だめで、悪い所には行くなというのです。人情と人道は、サタンが悪を中心として出発させやすいため、これを否定すべきです。

皆さんは、修理工場に入るべきです。修理工場に入れば、早く分解作業をしなければなりません。ばらさなければならないのです。分解作業をするには、昔に持っていた思想、権力、観念、職位など、すべてを否定しなければなりません。気分が悪くてもしかたがありません。そうしなければ、修理ができません。体を縛れ、犠牲になれ、穏やかで謙遜になれ、ごうまんになるな、ということです。食欲、情欲、物欲を全部放棄しろということです。断食と苦難と苦痛の道を行くべきです。

私たちは、熱心に祈祷すべきであり、神様のみ旨のために、熱心に活動すべきです。一片丹心ですべての精誠を尽くすようになれば、当然に心の力が湧いてくるのです。今日、人々は、修養だ、道徳だといいますが、それをもってしてはだめです。宗教が私たちの肉身的な欲求を押さえて、勝利するのに寄与しています。

それゆえ、私が一生の間、悟りの道に立ち、標語を立てたのが何かというと、「宇宙主管を願う前に、自己主管を完成せよ。」ということでした。宇宙主管完成より、もっと難しいのが自己主管完成です。これがどれほど難しいことか?(三八・二七一、三九・三五五、七〇・六八、二三・一六六、五二・三〇五、三九・二八五、一〇・六六、五二・三〇五、一〇一・三七)

ロ)肉身主管の方法

さあ! この体をどのようにたたきつぶすか? これを煮たり焼いたり、何とかしてひとつ作らなければならないのですが、その方法が何かということです。簡単に言えば、二つの方法しか無いのです。

最初の方法は何ですって? 体を強制的に征服することです。すなわち、この体を木っ端みじんにして占領する方法です。強制的に肉身の欲求を絶ち、欲情を除去させる方法です。それで、断食祈祷をしろというのです。断食祈祷をしながら、精誠を尽くせば、体の気がサッと抜けて、動けなくなります。 そうなれば、心が体を支配することができるため、喜ぶのです。その次には、犠牲奉仕することです。自分を殺せということです。これは、全部肉身が嫌がる行動です。それゆえ、真なる宗教は、肉身とのすべての関係を否定するところから出発するのです。そのような結論が出てきます。分かりますか?

皆さん、すべての宗教の教典を見てください。よく食べて、豊かに暮らせという内容がある教典がありますか? そのような教典は、一つもありません。宗教は、死につつも人のために福を祈ってやれ、というのです。これは体ではできません。そのようなことが肉体をたたきつぶすことなのです。

その次に、体を主管するもう一つの方案は何か? 心と体は、似ているので闘うのです。結局お互いが似ているため、問題になるのです。それで、二番目の方案は、心に力を吹き込むのです。分かりますか? 心に力を吹き込まなければならないのです。この二つの方法以外にはありません。

そうするには、すべての精誠を尽くすべきです。精誠を積み上げれば心の門が開きます。その心の門が開きさえすれば、とても強い力が出てくるため、体のようなものは問題にもならないのです。皆さんは、まだそれが分からないでしょう。心と体が似ているのに、心の力が体の三倍にだけなっても、体は問題になりません。体をそのまま置いても問題にならないのです。従って、心に力を圧縮させて、体を一時に引いて行こことができなければなりません。それゆえ、悟りの世界では、精誠を尽くすのです。

皆さん、道に通ずるという言葉を聞いたでしょう。道に通じれば、心から強力な力が出てきます。今まで、心はふいごのように、一度も体と対等に闘えず、いつも負けてきました。それは、心の力が弱いためです。ところで、この心に注射を打って、力を約二〜三倍ほど伸ばせばどのようになるでしょうか? そうすれば体を引いていくことぐらいは、問題ではありません。熱心に引っ張っていけるのです。自動車のチューブに空気を強く吹き込めば、大きく膨らむように、心にも力を強く入れれば、どのようになるでしょうか? 力が強くなるでしょう? そうなれば、体がしようとすることを考えただけでも、とても気分が悪いのです。道に通じた人は、心に強力な力が来ることによって、そのまま置いても、体は心がしようという通りにするのです。

ところで、心の力の源泉は愛です。ですから、心が授け受けして生じる爆発的な力を神様が連結さえすれば、それは何倍、何百倍、何千倍にも統一しうるのであり、世界万民が待ちこがれていた希望を成就することができるのであり、永遠に共に生きることができるのと同時に、天国も自分のものにすることができるのです。その秘訣が、すなわち愛です。愛は、統一に向かって上がっていく昇降機であり、統一を成しうる絶対的な秘訣なのです。

このようにして、心に愛の力を再び復帰しなければなりません。それゆえ、宗教に酔えば喜びが訪れるのです。皆さん、狂った人は独りで笑うでしょう? 狂った人も笑うのに、神様の愛に狂えば、どれほど笑うかというのです。笑っても、笑っても絶えず笑いが出て、口が巻き込まれていくでしょう。目をつぶっても気分が良く、目を開けても気分が良く、千年、万年生きても気分が良いのです。

そのような人がいたらどうか? 皆さんにそのような愛の力が生じたら、どうなるか? いっぺんに細胞全体に電気が通じるように、一度にその愛に帰結して、その懐に抱かれて、そこで踊りでも踊るようになるでしょう。その踊りは、自分一人で踊るようですが、世界がそこに拍子を合わせるようになっています。それで、そのような力を補強するために、皆さんが精誠を尽くすべきなのです。そうして、本郷、すなわち堕落の限界線以上に上がって、完全にマイナスになれば、ここに完全なプラスが来るようになるのです。来るなといっても、自動的に来るのです。

このような二通りの方法以外には、体を調整する方法はありません。それで、神様は体の支配を完成するために、このような作戦を繰り広げておられることを確実に知るべきです。(七〇・六七、一八・三二八、六五・七三、三八・二七一、一八・三二七、三五・六〇)

体と心の闘いを停止させてこそ、初めて天国ができるため、体を思いのままに引っ張れる人を作ろうというのです。心と体の比率が五対五なので、おあいこなため、闘いが起こるのです。体を制裁するために、心を一〇倍ほどポンプで高圧に圧縮して、強く吹き込んで体と心の比率が五対五〇くらいにしろということです。そうすれば、体は心の前にびくともできないのです。あたかも、大人の体に子供がぶら下がっても引いて行かれるのと同じです。これはレスリング・チャンピオンの前に立つ小学校の生徒と全く同じで…。

また、カエルに電気が通じると、カエルが四肢を開くように、その力さえ得れば、じっとしていても、細胞がはじけるような力が生じるのです。

少なくとも、「三年間体と心が一つになりうる。」と言えば、神様は必ず皆さんの前に現れ、働かれるのです。分かるように現れ、みんなびくともできないように導くのです。私たちの霊魂が、神様が働かれうる土台になるようにすべきです。(二三・一六六、三九・二〇〇、四七・二七、六五・七四、六九・二八〇、三八・三〇四)

5 肉身を主管すれば神様が臨在

皆さんの肉身が、サタンに従わない習性を持つようになれば、皆さんは完全に新しい存在であることが分かるようになり、新しい人になって、天に向かうようになるでしょう。天は働かれるようになり、私たちは、私たちの心霊から巨大な力がわき上がるのを感じるようになりますが、それを何というか? 宇宙力というか? 全体を糾合させ主管できる自制力が生まれるのです。そのような力が生じれば、力から見るときには、相手がありません。

このときには、神様が私たちの中に働かれ、私たちの中におられようとするのです。そうなれば、私たちが神様とともに生きていることを実感します。この境地に至らずしては、神様の息子・娘といえません。このようになれば、もし皆さんが悪いにおいをかげば、頭が痛くなってきます。また、どこかに行こうとすれば、足が非常に重くなります。すでに体が先に分かるのです。この体は、すなわち聖殿です。本来人間は、地だけ主管するのではなく、霊界まで主管するようになっています。原理での「心と体が一つになれば、神様が臨在される。」という言葉がそれで成立するのです。(五二・三〇五、五二・三〇六、三五・五九、一〇・九七、六九・二八〇)

私たちは、過った自分であることをもう一度悟り、体と心が一つになり、一つの目的に帰結しうる絶対者の息子・娘になり、相対になり、永遠無窮に幸福な世界で、いつまでも暮らすことができる皆さんになることを願う次第です。これが人生の行くべき真なる道です。(三九・三五七)