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皆さん、よい友達というのは、その友達が自分に対してどれだけ考えてくれるか、一日に何回考えてくれるか、という回数が多いほどよい友達になるのです。(一六一\一三一)
皆さんが学校で、十人の中でいちばんよい友達を選べというとき、十人の心情を知り、十人の事情を知り、十人のために尽くす友達が一人いて、一方、十人全員に自分のために尽くせと言う友達がいたならどうなるでしょうか。十人全員に対して私に尽くせと言う人は追い出され、十人全員のために尽くす人は主人になるのです。(一七七\二八八)
ある人に十人の友達がいるとします。その人が、十人の友達に対して全体に奉仕し、犠牲になり、生命を懸けて彼らのために生きるとき、その十人の友達は、その人のためだけではなく、自分の親戚とか、自分の友達の前まで連れていって紹介し、誇ろうとします。しかしながら、その反対の立場で、十人の友達に全部自分だけのためにしてくれと言うときには、一人だけでなく全部が離れていってしまうのです。そのようにしていなくなるから滅びるのです、多くなるから栄えるのです。こちらは悪の行く道であり、こちらは善の行く道です。(五四\二九)
皆さんが真なる友達と言うならば、真なる友達とはどんな友達かというのです。十人の友達がいて、その中でいちばんの真なる友達はだれか? かき分けてみれば、十人のためにより犠牲になろうという人です。自分の利益を追求せず、十人の利益を自分の利益よりもっと尊重視しながら、一日の生活から一年の生活を通じて、青春時代から老年時代まで友達のために一生をそのように生きるという人が、友達の中の真なる友達にならざるをえないのです。(一七二\一四五)
真なる友達と言えば、真なる友達とはどんな人か? 今日、普通人間たちが願う心と反対の立場で、自分を懐かしがってくれ、自分に接することのできる人です。普通、人はいいものがあると、自分のものと言いますが、いいものがあればその友達のために「これはおまえのだ」と言える友達であってこそ真なる友達というのです。全部反対です。「おいしいものがあれば、自分が食べる」と言うのが、普通の人の心ですが、「おいしいものは、おまえが食べろ」と言える人、世の中の普通の人なら「悲しいものは、おまえのもの、いいものは私のもの」こう言うだろうけれど「悲しいものは、私のもの、いいものは、おまえのもの」と言える人がいい人なのです。(一五六\八二)
この世の中で、いちばん好かれうる友達がいたら、その好かれうる友達というのは、億千万歳までも君と私の間を絶つことができないという、そういういい立場の友達かということです。値段の高い何よりも、自分の奥さんよりもいいと言える友達がいい友達です。一日の生活感情で引き起こされた一言の言葉で捨てられる、そのような因縁の立場ではありません。生命自体を収めていっても絶つことのできない立場が、このような友達の立場なのです。そのような同情の立場ではないと言える立場が、善の母体であるため、今日、自分の本心に共にあった善と因縁づけられたすべての因縁は、永遠に絶とうとしても絶つことができないのです。(四二\二一八)
幸福な人はどのような人か? 悲しいとき、自分の心を分かってくれる友達を持った人です。幸福な人はどのような人か? 苦痛を受けるとき「その苦痛を私が代わりに受ける。あなたはその苦痛の場に行くな。私が代わりに行く」と、生命を捨てる覚悟をして立ち上がることのできる、友達や愛する息子や娘を持った人です。その人は、幸福な人です。皆さん、そのような人をみんな持ちましたか? 持ったかというのです。(一五〇\二七七)