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一 勉強をする理由
1 勉強とは何か
皆さんが勉強するのも、接ぎ木をすることでしょう? 学校に入って勉強するのは、先生が知っているすべての知識に接ぎ木して、それを自分のものにすることです。
2 勉強する理由
神様のみ旨をなすということは、なしたということは、どのようなことか? 内外に、縦横に、四方に完全に一つになることです。これが神様のみ旨をなすことです。
さあ、そのようなみ旨を願う神様は、アダム・エバを創っておいて放っておけますか? 法度を立てたでしょう? 「おまえ、早く大きくなれ」と言ったでしょうか? そう言いましたか、言いませんでしたか?(そう言いました)。それでエデンの園のアダム・エバに、「取って食べるな」と言ったのが、その言葉なのです。アダムが地に生まれて、たくさん習うべきなのです。アダム・エバが習うべきなのです。万物をみんな主管しようとするなら、万物の性格をみんな知って、特性をみんな知って、よいというものをみんな知って、悪いというものをみんな知って生まれなければならないということです。(一三四\一二一)
私が勉強するのは、私だけよくなるためのものではなく、かわいそうな人たちの友となってあげ、学べなかった人たちに教えてあげ、その人たちを開放させるためのものです。(三三\二八九)
「私が有能な人にならなければならない」という人は勉強しなければなりません。勉強をなぜするのでしょうか? その分野の価値を知るためです。このようになるのです。(六三\二一四)
勉強を何のためにするのでしょうか? 勉強ゆえにする人は落第です。勉強をするのも世界を救うためにしなければならず、ごはんを食べるのも世界を救うために食べなくてはなりません。(六三\二一四、三三\二九九)
それゆえ勉強するのも私たちの家のため、私たちの家を守るため、統一教会を守るためにするのではありません。神様を保護し、世界を保護するためにするのです。ですから神様を保護し、世界を保護するために、私が勉強をもっと一生懸命しなくてはならないというのです。(一三〇\三一二)
3 勉強すれば未来が保証される
勉強する人には未来が保証されるのです。(九八\二九三)
若いとき勉強しないで遊んだ人は、老いたとき苦労するのは原則です。若いとき遊びたくても遊べず、犠牲となり、そして努力した人は晩年に…。宇宙の道理がそのようになっているのです。幸福な人、満足な人は宇宙の道理に乗っていく人です。(九八\五五)
さて、皆さん、勉強をなぜするのですか? 「学校は今日のために行く」そうですか?(未来のために行きます)。そうではないですか。それは今のためです、今。(未来のために行きます)。未来のために。皆さんは未来のためですか?(はい)。私は分かりません。(笑い)父母たちが「学校へ行け、こいつ」と言い、鞭を打てば、鞭を受けて泣きながら学校に行くのです。「エーン、エーン!」こうしながら学校に行くのです。それはどれほど不幸ですか? しかし、泣きながらも行く道に希望がある、未来があるというのです。未来があるというのです。そうです。行かないよりも「あー、私行かない!」といって行かなかったのよりも未来があるというのです。
その話は何ですか? 今日のために生きる人になるのか、未来のために生きる人になるのかという話です。今日のために生きる人と、未来にために生きる人がいるのです。私たちはここでこのような二種類の人を探し出せます。皆さんはどんなのを取りますか?(未来のために生きる人です)。なぜですか? どうしてですか?(より価値があるからです)。それは何がより価値がありますか? どうして価値がありますか?
今日のため生きる人は今日が終われば行く道がないのです。ぐるっと後ろ向きになれるし、横には行けます。しかし未来のため行く人は泣きながらも前進するのです。明日も行くことができ、あさっても行くことができます。その話は何かといえば、今日のため生きる人は今日が終われば後退するとか、それとも横に行くのです。横に行くときには前進がないので下りていくようになります。けれども未来のため行く人は疲れても横に行こうとも前進するというのです、前進。それでより価値があるのです。価値があるということは深さと高さと広さがあるというのです。今日のために生きるのはここで終わります。価値がありません。深さもなく、高さもなく、広さもないというのです。後退です、後退。〇です、〇。〇より小さくなるのです。ですから価値がないというのです。分かりますか、何の話か?(はい)。
今日学生たちに勉強しろといえば「勉強するの嫌だ。勉強しなくても私はいい」といってひっきりなしに遊び回るのです。それではよいはよいでしょう。そうしてみたらこれが習慣になり滅びるようになり、悪くなるのです。(一一七\三一九)