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「私の友達はどんな人であるべきだろう?」と心に問うなら、この心は「けちな人とは友達にならない」と答えます。(一五三\二五)
後退は、どんな人でも歓迎しません。後退する人はだれも友達になってくれないし、接しようともしません。前進するところでのみ交わろうとするし、友達になろうとするのです。それでは、今、私たち自身は停止しているでしょうか、あるいは前進しているでしょうか、それとも後退しているでしょうか。何にもまして、これが私たちの考えるべき問題です。(三二\一九)
だれよりも親しく愛される友達になろうと思えば、その人の悲しみと苦痛を知り、その人を支え、慰めてあげなければなりません。そうしてはじめて、その人の友となり、その人を支配できるのです。心情を通し、愛で因縁を結んだなら、その人が自分の思い通りに動き、自分もその人の思い通りに動くことができるのです。(七\三〇六)
十人の友達のために犠牲になる人がいるとすれば、十人を統率できる中心者としてだれを立てるべきかというとき、十人のために犠牲になる人を中心者に立てようとするのです。中心者として立てる場合だけでなく、その人が自分を完全に犠牲にして、彼らが安心できるようにすれば、自分たちを指導してくださいといって、自分たちの指導者に立てるのです。そうなるのです。(四九\一九八)