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神様は今若い人たちに願いを託し、要求しておられます。これほど複雑な地上に神様は私たちを立て、願われてきた世界を成そうとしておられるのです。今日の私たち若者は、その道を行かなければならないのです。(一五\八一)
先生も年とった人の中に入るので気分がよくありません。しかし、年老いた側には入りません。先生は年とった人が好きではありません。若い人が好きです。今でも、好きなのは若い学生たちです。しかし、学生たちの気分がよすぎるのも困ります。
今日、統一教会の中・高生を成和学生といいます。「成和」という言葉がどういう意味か分かりますか?「ソンファ(成和)」という言葉です。それでは大変なことが起こったときや緊急なときは何と言いますか? それもソンファ(成火)と言います。「ソンファ」をハングルで書けば同じです。発音も同じです。しかし意味は違うのです。
皆さんは大韓民国の成和人にならなければなりません。町内の成和人とならなければならないのです。学校で伝道するときにも、楽に伝道できますか?「なんだ、それくらいの勉強が問題なものか。私が大勢の友達を引っ張って行って信じるようにしよう」という人がいますか? そんな人を見ましたか? ひたすら「聞くだけ聞いてみましょう」と頼み込まなくてはならないでしょう。だめなら胸倉でも一度つかんでみろというのです。悪い意味ではなく、よい意味でです。(二五\一〇二)
先生は成和が好きです。皆さんは成和人です。また、村に行けば村の成和人です。サタン世界の成和人であると同時に、神様の世界の成和人です。それゆえ、一点で出発して一点で実を結ぶのです。皆さんは自分が成和人であることを考えたことがありますか?
このような観点でみるとき、世の中で親たちが子供に「勉強しなさい。言うことをよく聞きなさい。友達の模範にならなければならない」と言うのですが、それが成和人ですか? 父母が子供に「勉強をしないと劣等生になるから、頑張って勉強しなさい」これも成和といえば成和です。また、子供が学校から帰るや、父母が愛の心で愛情こまやかに与えてくれたものをすべて持って出て行き、近所の子供たちにかわいそうだと分けてあげます。これも成和です。また、父母が子どもに十年もかけて、何か精誠を込めて準備し、与えましたが、これも二時間足らずで全部ほかの子供たちに分けてあげます。それも成和でしょう?
成和には二つあります。一つは滅びるものであり、一つは栄えるものです。一つは福を与えるもので、一つは福を取り出すものです。一つは積み上げるものであり、一つは崩すものです。(二五\一〇三)
今から成和学生の皆さんは、自分の肉体から怨讐に復讐し、自分の肉体から神様を開放して差し上げることのできる騎手となろうという信念を持たなくてはなりません。神様が六千年間闘ってこられた信念以上の信念を持った人がいれば、み旨を成すことができなくても、神様はその人に仕事を任せるのです。(四七\八〇)
自分自身が孤独であれば、周りの学生たちを自分の側につけなければなりません。そして、その学校を陥落させて「私は勝利した」と万歳を叫ぶことができなければなりません。
鏡の前で自分の顔を見るたびに「お前はみ旨の前に出発したその道をそのまま歩んでいるのか」と問いかけてみなければなりません。
「成和」の名前を汚さない皆さんにならなければなりません。自分の力ではそれ以上できず、耐えられないときになってから「神様、助けてください」と言ってこそ自主性のある人となります。