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五 信仰の息子、娘

1 統一教会員には二つの部類の息子、娘がある

 統一教会の教会員には、息子、娘に二つの部類があります。信仰の息子、娘と、自分の息子、娘と。なぜそうなのかというのです。それを教会長たちも知らないのです。私がまた原理講義してあげないといけないのですね。(信仰の息子、娘を探しておいてこそ、自分の息子、娘を愛せるから……)。(笑い) それも一理ある意味をもった言葉です。

 復帰の道は行って振り返るためには、蕩減するためには……。これは霊的な世界であり、これは天使世界の息子、娘です。堕落した世界は何かといえば、天使の息子の世界です。サタンの息子で、神様の裏切り者である天使の息子だというのです。

 裏切った天使の息子が、そのまま神様のアダムの血族として帰ってくることはできないのです。ですから裏切らなかった天使の息子の格を……。この格が何かといえば、堕落前のアダムと同じです。その三人の息子が必要なのです。三人の天使長を必要とし、あるいは歴史過程においてアダムの家庭の三人の息子を必要とするのです。また、その次にアブラハム、イサク、ヤコブの三段階。すべてのものを代表した天使世界、このすべての万物世界に三段階を経ていかなければなりません。人間がすべての三数の中心です。そういう意味で、三人の信仰の息子は、天使世界と被造世界を代表した天の側に探し求められた天使圏です。ですから神様が主管できる天使たちだというのです。

 アダムとエバを本来誰が教育しなければならないのかといえば、天使が教育しなければならないのです。神様が教育するよりも、成年になるまでは天使が保護して育成するのです。それと同じように、信仰の息子、娘は、その信仰の父母が天に帰ることができる位置に立てるよう、みなで協助してあげなければなりません。その信仰の息子、娘の協助を受け、天の前に祝福を受けて越えていく時に、信仰の父母を協助したという条件に従って越えていくというのです。分かりますか? (はい)。そうすることによって、天使世界の三人の天使が復帰されるのであり、アダムの三人の息子が復帰されるのであり、ノア家庭の三人の息子が復帰されるのであり、三段階全体を代表した位置から越えていく条件が成立するのです。

 では、完全に一つになったというのは何かといえば、エデンの園で堕落しなかったアダムを中心にして、三人の天使が完全に一つになったということです。これが一つになって、神様の祝福圏内に越えていくのです。何のことか分かりますか? (はい)。

 元来がそうではありませんか? 堕落する前のアダム・エバの前に、三人の天使長が完全に協助し、アダム・エバの結婚の日を天使長たちが待ち焦がれなければならなかったのと同じように、信仰の息子、娘がその自分の信仰の父母に対し、切実に祝福を受けることを願わなければなりません。何のことか分かりますか? (はい)。ところが天使長が失敗することによって、天使長たちがみな引っかかったのです。

 ですから信仰の息子、娘が実体をもって協助することによって、肉界と霊界に引っかかった条件を蕩減するのです。ですから信仰の父母と信仰の息子、娘は、堕落した世界の父母よりも心情が高くなければならないのです。分かりますか、何のことか? (はい)。堕落した世界の父子関係よりも心情が低くなる時は、天の側に立てないのです。堕落した世界の父子関係以上の位置へ出て一つになってこそ、天の祝福を受け継げる位置へ越えていくのです。

 こうして祝福を受けたのちに自分の息子、娘が生まれ、父母が愛しても、サタン世界から蕩減条件をかけて讒訴できないのです。それが原理です。分かりますか? (はい)。堕落しなかったならば、アダム・エバを中心にして天使世界が一つになったのです。肉界や霊界が完全に一つになったので、一つになったその位置において、祝福を受けたアダムとエバの位置に出る時、サタン世界は完全になくなるのです。(一二七―五二)

2 信仰の息子、娘が必要な理由

 こういう原則があるので、信仰の息子、娘を通じて堕落した世界を救うことができるのです。サタン世界を救えるというのです。ですから新しく教会に入ってきた人たちは、全部信仰の息子、娘が必要です。この信仰の息子、娘が必要なので、サタン世界へ行って探してこなければならないのです。

 では、誰が探してこなければならないのですか? アダムとなり得る人、エバとなり得る人が探してこなければなりません。誰がこれを失ってしまったのですか? アダム・エバが失ったというのです。分かりますか? (はい)。

 信仰の息子、娘を立てることによって、アダムの位置へ帰ることができる道が求められるという原則があるので、信仰の息子と一つにならなければなりません。一つになったのちは、サタン世界から越えてきたので神様の公認を受けなければなりません。そうしてサタン世界に行って、また、信仰の息子、娘を探すことによってサタン世界を完全に復帰でき、サタンを完全に地上から実体的に消滅させることができるのです。ですから信仰の息子、娘というのは絶対要件だというのです。ですから三人の息子、娘がいなければ祝福を受けられないし、結婚生活もできないのです。そうですか? (はい)。

 第一に何かといえば、堕落した天使長の位置を復帰するためです。天使長は堕落しなかったアダムと完全に一つになり、祝福の日を願って祝福を受けなければならなかったのに祝福を受けられなかったので、これを蕩減復帰するためにその基準を立てようとすると、信仰の息子という条件のもとで三者が完全に一つにならなければならないのです。信仰の父母を、信仰の息子、娘たちが自分の世の中の父母よりもっと愛さなければなりません。そうしなければなりません。そういう心情的連帯が結ばれなくては、サタン世界を越えることはできないのです。それが一つです。

 その次、第二は何かといえば、サタン世界を復帰するために絶対的に必要です。自分が信仰の息子、娘になっているけれども、自分にも信仰の息子、娘がいなければ復帰できないのです。自分がアダムの位置にいても、堕落した位置にいるからです。私はどうやって復帰されるのかというのです。復帰される基盤がありませんから、信仰の父母についていってはならないのです。信仰の子女の位置を越えなければなりません。そして、天使長の位置からアダムの位置へ来てアダム・エバが失敗した要件を再び繰り返し、解いていかなければならないので、自分も信仰の息子、娘の三人を探さなければならないのです。

 ここで自分はアダムの位置です。堕落しなかったアダムの位置と、堕落しなかったエバの位置で、完全に三天使と一つになった条件を神様の前に絶対的につくらなければなりません。ですから信仰の父母を絶対視しなければならないというのです。そうして完全に一つになって、神様の前に愛を受け、祝福を受けることができるようになる時、自分も越えていくのです。

 そうして越えていき、三天使と一つになった位置で、アダム・エバが本来受ける祝福を失ったものを再び蕩減しなければなりません。サタン世界から求めてきて、失った本然のアダム・エバの基準を蕩減し、乗り越えなければならないのです。それ以上の位置に乗り越えるようになる時、初めてその信仰の父母が祝福を受けられる位置へ出られるというのです。

 ですから、信仰の息子、娘三人がいなければ絶対に祝福を受けることがどうなのですか? (受けられない)。確かですか? (はい)。アダム・エバが堕落し、三人の息子を連れて落ちていったため、三人の息子、娘がいなければならないので、ノアの家庭に三人の息子がいました。ですから八人の家族になったのです。ですからイエス様にも三人の弟子がいたのです。そしてその相対が来れば八人の家族になるのです。相対理想をなせなかったので、イエス様も死んだのです。

 ですからあの世へ行って再び来る時は新郎としてやって来て、相対理想を成して八人家族の家庭を編成し、地上に顕現しなければ、本然のアダム・エバ家庭の基準を求められないというのです。理論がぴしっと合っているでしょう? (はい)。ですから信仰の息子は絶対必要だというのです。(一二七―五四)

3 信仰の息子、娘と直系の子女

 信仰の父母さえいればいいのではありません。信仰の息子、娘は、また信仰の父母にならなければならないのです。統一教会の教会員になったといっても、血統は堕落圏内にあるのです。違いますか? (そうです)。ですから自分が同じように三天使を支配し、越えていかなければなりません。そうするには、一つになれるよう教育しなければならないのです。完全に立てられるよう、自分の父母、兄弟より愛せる位置に立たなくては、復帰の基準を立てることができないというのです。分かりますか、分かりませんか? (分かります)。

 安養教域長、どうですか? (はい、分かります)。ああ、この人たちは今までそれを尋ねなかったのではないですか? 統一教会の信仰の息子、娘たちがなぜ必要か、尋ねてもみなかったのです。これを知らなければ、サタン世界と別れることはできません。ですから統一教会は絶対的に必要なものが何ですか? (信仰の息子、娘)。

 信仰の息子、娘たちが完全に一つになって、「やあ、アダムとエバが夫婦になって赤ん坊を生んだらいいです。早く生んでください」と言いながら、赤ん坊が胎中にいる時から拍手をし、全部準備し、そうしなければならないのです。そのすべての準備は誰がするのですか? アダムがするのではありません。天使長たち、信仰の息子、娘たちがしてあげるのです。イエス様の誕生時に東方の博士三人が来て敬拝したのも、信仰の息子、娘の代表として、歴史時代を代表してそうしたのです。何のことか分かりますか? (はい)。

 皆さんもそれと同じように、信仰の父母が真なる天の愛の圏内で祝福を受けた、そういう夫婦となって、そこで息子、娘を生むことを切に願わなければならないのです。こうして信仰の父母が生んだその赤ん坊を、「やあ、私の愛する者よ」と言いながら愛したあとでこそ、天使として愛を受けるのです。分かりますか? (はい)。

 その信仰の息子、娘が、自分の息子、娘を愛さなければなりません。信仰の息子、娘、天使が、アダム・エバを信仰の祖先として侍らなければならないのです。自分の息子、娘を本当に愛するようになる時、その自分の直系の息子、娘を愛するので、その時にこそ、信仰の息子、娘として愛を……。蕩減復帰原理は意地悪でしょう? それは理論的です。分かりますか、何のことか。(はい)。

 ですから、信仰の息子、娘になった人は、信仰の父母が息子、娘を生むとすると、アダムが息子、娘を生んだのと同じように、天使長の立場で侍らなければなりません。そうしてこそ、その父母が「お前は今や祝福を受けることを私が推薦する」と、こうなるのです。「私たちの息子、娘を愛したので……」と言うのです。そうなれば養子になります。血統が違うのです。直系の息子、娘を愛したので、その息子と一つになった位置に立つことによって、初めて祝福の場に引き入れることができるというのです。そのままではいけないのです。双子のように、祝福を受けた信仰の父母の息子、娘を、胎中から愛さなければならないのです。

 神様の愛を中心にして、信仰の父母の息子、娘を胎中から愛したので、心情的基準で胎中から生まれたのです。そして生まれるのに、自分が長子として先に生まれ、エバの胎中から祝福を受けて生まれた赤ん坊は二番目でした。横から見ると信仰の息子がまず生まれたのでカインの立場、兄さんの位置ですが、弟の位置に出てくるアダムの息子が本当の息子だというのです。ですから絶対的に侍ってこそ、ここからサタンの長子権のすべてのものが取り消され、天の圏内の次子が長子として完全に再出発するようになるのです。そうすればきれいに清算されるでしょう? (はい)。

 ですから信仰の父母が赤ん坊を生んだならば、全部育てなければなりません。おぶって、「やあやあ、私の生きる道よ」と言いながらです。それが自分が生きる道なのです。「あなたは私の生命の救世主であり、私が祝福を受けられるようにできる真なる本体です」と言わなければなりません。信仰の息子は血統が違うのです。直系の息子がいるのに、どうやって祝福の場へ行くことができるのですか? 養子は入れないのです。

 ですから胎中時代から愛し、完全に愛で一体とならなければなりません。そうして、生まれるのは天使がまず生まれたのですが、胎中から生まれるアダムを天使長が協助して生まれるようにするのと同じように、再創造するその過程を協助しなければならないのです。その過程を全部経るのです。

 そうして完全に一つになったという基準から育て、その赤ん坊を最高の長子になるようにしなければなりません。そうしてその子がもっと大きくなって、「私を胎中から愛したので、私と一緒に祝福の場所に同参してください」と言う、そういう依頼を受けてこそ、信仰の息子、娘が祝福の場へ出ることができるのです。これが原理の根本道理です。分かりますか、分かりませんか? (分かります)。

 そしてアダムの息子も同じように、それが必要なのです。祝福を受けた父母が赤ん坊を生むのを待ち、また育ててあげ、このようにできる天使長が必要だというのです。難しいことを実際に蕩減する意味で、信仰の息子は絶対必要だということをはっきり知らなければならないのです。

 さあ、では信仰の息子、娘とは何か分かりますか? (はい)。ですからその意味は三つあるのです。第一は天使長復帰の必要性であり、第二はサタン世界全体復帰であり、第三は自分が祝福を受けられる息子の位置に行くためです。ですから信仰の息子、娘は、信仰の父母が直系の息子、娘を生んで接ぎ木しなければなりません。誰に接ぎ木しなければならないのかといえば、自分の信仰の父母が生んだ直系の息子、娘と共に接ぎ木しなければならないのです。分かりますか? これは信仰の母に接ぎ木しなければならないのでもなく、信仰の父に接ぎ木するのでもありません。息子だから、息子同士接ぎ木しなければなりません。(一二七―五六)