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1 聖地聖別 実例1 一九六五年十二月二十二日 劉孝元氏 筆記帳
人を探したのちは地を探さなければなりません。韓国で堕落前の基準を立てたので聖地を選ぶことができました。世界四十カ国に百二十カ所の聖地を選びました。
一二〇家庭は百二十国家を象徴するので、一二〇家庭の祝福とともに百二十カ所の聖地を選ばなければなりません。
聖地が選ばれたということは、堕落前、人間を創造するための地を造ったことと同じ立場です。ここに聖徒が立つことによって、堕落前の人間と地が成立したのと同じなので天使世界、霊界が協助せざるを得ません。
ですから百二十カ所の聖地をもったことは、百二十カ所の領土をもったことになります。アメリカの聖地を選ぶ時、アメリカの祖先たちが協助するようになっています。
一九六四年十二月三十一日と一九六五年一月一日から始まって、一九六五年十二月三十一日と一九六六年一月四日まで、年数としては三年の間聖地を選びます。
六数はサタンが侵犯できるので蕩減復帰しなければなりません。韓国問題がこのように解決するのもここからです。乙巳保護条約以後、六十年の内にそれが解決されました。
イエス様が地上に来られ、父母に捨てられたので、先生も父母に伝道できないのです。
2 聖地聖別 実例2 一九六六年一月一、二日 劉孝元氏 筆記帳
朝四時三十分に起床し、礼服を着て敬拝し、五時三十分にきのうのように六七四二号、二〇六三号、二台で南山聖地に到着し、岩にお座りになった先生を中心にして座って祈祷し、歌を歌いました。
七時十分に聖地を選びました。多くの食口たちが集まりました。ここにだけは修練生たちも参席させました。(一九六六・一・一)
午前十一時に本部を中央聖地に決定しました。ソウルでの聖地選択時の位置は地方と同じで、第1図に等しい。しかし南山聖地だけは、嫡子のように子女たちの位置を変えられました。
それから本部では、修練生たちと食口たちがぐるっと囲んで座った前で、前と同じように机を置いて第2図のように選定されました。先生は机の上に第1図のような模様でまず要約して描かれ、次に外国から持ってきた土をまかれました(これは劉孝元が完全に保管した)。そして教会内に立たれた方々は立ったまま、先生は聖進様をお呼びになって聖塩と土を持ち、教会の外に出られて聖別なさったのち、入ってこられました。
式を行う前と終わったあとに先生が祈祷されました。祈祷の内容は、聖地を選んでくださったことを感謝され、この聖地に訪ねてきて訴える子女たちの声を直接聞き、答えてくださいというものでした。
そして、これらの聖地と世界の聖地を連結させてくださいと祈祷されました。聖地ごとにまいた土と、また聖地に埋めた石は、手ずから四十カ国に選定された聖地に少しずつ持っていって合わせたものです。(一九六六・一・二)