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一 安息日を守る目的
今まで既成教会では、聖日というものを聖なるものとして守ってきました。この日は、誰を区別することなく、私たち統一教会もやはり、今後も聖なるものとして守るべき安息日として残るのです。
安息日を聖なるものとして守るその目的とはどこにあるかといえば、結局、神様が願う国を探し、人類を救うことに目的を置かなければならないのです。今までキリスト教が安息日を守ってきたのは、この日を聖なるものとして守ることによって、自分が昇華され、自分を考える、すなわち救いの目的を加重させることに力を注ぐためでした。私たちにおいて、この安息日を守るというその目的は、私自身の救いの道を促進させることももちろんあるでしょうが、もっと進んで全体を救い、今後、神様の摂理の国と、世界を救うための目的を加重させるのです。これが、より次元の高い神様の願いであることを私たちは知っています。(六九―二四〇)