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皆さん、考えてみてください。人体において肉が本物ですか、骨が本物ですか。答えを待つまでもなく骨が本物なのです。ところで、人がどんなに美男・美女であるといっても骨に心を引かれるでしょうか。ここで一度、もしこの肉がなかったらと考えてみてください。世の中のどのような人も自分に心を寄せることはできないでしょう。しかしながら骨に肉がくっついて、素晴らしく立派になって大胆になるのです。こうしてみると世の中には本物が本物としての扱いを受けていない場合が多く、また尊敬を受けなければならないのに尊敬を受けられずにいるものもたくさんあります。そうなのです。
歴史の流れの中でどんなに迫害を受け、追い回される民族であっても、千年、万年変わることのない骨のような思想を身につけて消えることなく残るなら、その民族は歴史を主導するようになるのです。今日キリスト教思想を中心にキリスト教文化圏が形成されたのも、キリスト教徒たちが変わることなく、その思想を中心として歩んできたからです。歴史の流れがその思想を削り取ってしまうことができなかったために、そこで血となり、肉となって一つの形態をなした結果、キリスト教文化圏ができたのです。(一八―二三五)
今日の世界史的な立場を見る時、今この時が終末であるということは既に周知の事実なのです。大韓民国が今後どのようになるのか、どこの誰も知らないのです。民主世界がどのようになるのか、どこの誰も知らないのです。共産世界がどのようになるのか、どこの誰も知らないのです。
このようなことを考えてみると、国を見ても真っ暗な天地になっており、アジアを見ても真っ暗な天地になっており、また世界を見ても真っ暗な天地になっているのではないでしょうか。このような暗黒の天地の中で旗手となり、たとえ人々の前に立って方向を見失い右往左往することがあったとしても、その暗黒をかき分けて、暗黒の世界において一つの世界を抱いたとしても、彼らの前に新たな環境を提示できる主体思想をもった者とならなければなりません。(四九―九九)
呻吟の拍子が次第に増してくる、その息の詰まるような、世界的な最後の交差点に向かって歩み行く混乱の渦中において、自分の主体性をどのように形成するのかという問題が、今後韓国の宗教人たちが解決しなければならない問題であり、数多くの僑胞たちが解決しなければならない問題であり、大韓民国自体が解決しなければならない問題ではないでしょうか。これもよいし、あれもよいと言うのではだめなのです。主体と対象をはっきりと分けるのです。天を主体とし人間を対象として完全に分けて、立つべき席に立つことができ、臨むべき席に臨まなければならないのです。そのために、息の詰まるような時代の交差点に向かって我々は今前進しており、この時がその瞬間なのです。(六五―一五二)
今、我々の社会はとても混乱しています。世界の情勢もまた左右を分別することのできない混乱した状況にあります。我々はこのような環境に包囲された状態に置かれています。このような時に自分自身がその環境に吸収され、引っ張られていく主体意識のない人になるなら、後で必ず敗者になるのです。環境の中に、いかに複雑で混乱した情勢が置かれていても、我々はその立場を超越してあらゆることを判断することのできる基準をもって、堂々と現在の難局を突破していかなければなりません。その環境を収拾することができなければなりません。このような基準をもった実体とならずしては、自ら生きがいを感ずることもできず、将来我々が成し遂げなければならない新たなるみ旨に貢献することもできないのです。(二五―八〇)