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第一節 南北統一運動国民連合
一.南北統一運動国民連合創設メッセージ
一九八七年五月十五日
韓国・ソウル・リトルエンジェルス芸術会館にて
統一を熱望する愛国同胞の皆様!きょう、我々は「南北統一運動国民連合」結成のため、ここに参席しました。南北統一は我が韓民族の念願であり、また宿願でもあります。我々は、みな倍達(注:韓民族の古典的歴史の称)の同胞であり、五千年の悠久なる歴史をもち、燦爛たる文化と美しい風俗と秀でた言語を駆使する平和愛好の単一民族です。このような一つの血筋を引き継いだ民族であり、一幅の絵のように美しい三千里錦繍江山をもつ我々は、断ち切ろうにも断ち切ることのできない同一運命体なのです。
しかしながら、人も、山も、川も、願わなかった南北分断の歴史となって以来、既に四十二年目を迎えました。愛国の志士の血と真心で勝ち取られた独立の喜びも一瞬にして消え失せ、民族が南北に分断されて嗚咽し、四十年余りがたちました。
このような民族の悲劇はいつまで続くのでしょうか。いくら回顧してみても南北統一の明るい兆しがないからといって、民族相逢、祖国統一の希望を全く放棄すべきなのでしょうか。
国民連合を結成する理由
皆様!
私はきょうこの席で、我々の祖国の南北統一は、必ず成就されることを宣言いたします。そして、その時が近づいています。我々はきょう、その南北統一の機運醸成のために、ここに「南北統一運動国民連合」を創設するに及びました。一九四五年、我々の祖国光復はいかにして成し遂げられたのでしょうか。
祖国光復と我々の独立は、二つの要因によって成就されたのです。その一つの要因とは、三十六年間の日本帝国主義の弾圧にも屈しない自主精神のもと、多くの愛国志士が国の内外で血を流しつつ戦った独立運動です。
さらにもう一つの要因は、第二次世界大戦の終結とともに、日本帝国主義が敗北したという世界的運勢がもたらした結果です。まさにこの二つの原因によって、我々の祖国に光復が成し遂げられたのです。
南北統一も、また同じような原理によって成し遂げられるのです。今や、七十年の歴史をもつ国際共産主義は、実質的にその終末期に処していて、ソ連を中心としたあらゆる共産世界の崩壊が、今日目前に迫っています。彼らは七十年に及ぶ虚構と欺瞞、そして失敗の歴史を、もはやこれ以上隠蔽できない状態に至りました。共産主義理念の衰退は、すなわち北韓の金日成の運命とも直結していて、さらにまた、世界的に南北統一の機運を醸成する要因ともなるのです。
このような国際情勢の推移によって、今後の我々に必要なことは、国の内外で国民の皆様が互いに力を合わせて南北統一を信仰化する運動なのです。統一の熱望に火をともさなければなりません。「意のある所に道あり」とも言われ、また、「至誠天に通ず」という金言もあります。北韓の天と地が感動するほどの我々の切なる統一への意志と熱望なしに、どうして統一を願うことができ得ましょうか! これがまさに、我々が今日「南北統一運動国民連合」を結成する理由なのです。
三十八度線は価値観の三十八度線である
今日、南北韓を断ち切ったままの怨恨の三十八度線は、ただ地理的な三十八度線ではなく、血縁的な三十八度線でもなく、互いに反目する思想の三十八度線であり、価値観の三十八度線でもあることを、まず我々は知らなければなりません。
六・二五動乱の時、我々がお互いに殺し合うという、同族相殺を行ったその原因は血筋が違うからでもなく、お互いが同じ民族であることを知らなかったからでもありません。それは譲歩できない価値観の差から起こった紛争であり、この価値観の差異が民族の絆を切り、血縁を切り、さらには父子の縁まで断ち切る恐るべき壁になってしまったのです。
有神論と無神論の対決
それでは、お互いに相反する価値観の基本的な差とは何でしょうか。三十八度線でぶつかり合う最も基本的な価値観の対決とは、ほかでもない、有神論と無神論の対決なのです。まず、共産主義の思想は徹頭徹尾、神様を否認するところから出発しています。神様が存在しないから絶対価値はあり得ず、絶対価値がないから善悪の基準もありません。そこから、「目的が手段を正当化する」という、共産革命の原理が出てくるのです。
共産主義は科学の力をもって、神様を否定しました。共産主義のみが科学的であるとし、科学の発達は神様と宗教とあらゆる神話を迷信に規定できるものと信じました。そして、「宗教は民衆のアヘンである」と宣言したのです。では、二十世紀の科学は果たして、共産主義が予言したとおりに、神様と宗教と神話をこの地球上で抹殺し得たのでしょうか。いいえ、そうではありません。二十世紀の科学は、それとは正反対に、科学的であることを誇っていた共産主義を十九世紀の迷信として墜落させてしまい、かえって神様を証すものとなっていきつつあります。
その一つの例を挙げてみましょう。十九世紀までの宇宙観は、「この宇宙は分けようにも分けることができない絶対個体(究極粒子)になっている」というものでした。このような十九世紀の科学に基づいて、共産主義はその基本哲学として「宇宙の根本は物質である」という、唯物論を主張したのです。ところが、二十世紀の原子物理学は、この十九世紀の宇宙観を完全に覆すものでした。というのは、物質はほかならぬ無形のエネルギーからできていることが証明され、エネルギーと物質は相互変形的であり相互交流的なものであるということが、否認できない真理として明らかになったためです。
さらに、二十世紀の先端を行く原子物理学においては、宇宙の形成は宇宙の中に何らかの意思がなければ成立しないということに意見が一致しつつあります。そして、科学の因果関係の法則によって、宇宙の森羅万象が偶然の所産ではなく、宇宙自体の中に本来第一原因が実在するということが次第に明らかにされつつあります。
科学が究明しつつあるところの、宇宙と人間を存在せしめる第一原因を、宗教においては「神様」と言うのです。その神様は、知情意をもった人格神であり、人間の創造は神様の自己表現であったのです。神様は自分の形象のように造られた人間を通して、愛を授受し、喜びを享受するのです。それが創造の目的でした。
ゆえに、今日我々が「神様がいない」と言うのは、まるで子供が父母がいないというのと同じです。あらゆる人間社会の価値観は、まさにこの創造主を認め、その創造主との関係を正常化するところから出発するのです。その神様を地球上から抹殺しようとした共産主義は、彼らが固く信じ切っていた二十世紀の科学によって虚偽とされてしまいました。「共産主義こそこの地球上から消滅されなければならない間違った価値観である」ということが、はっきりと暴かれてしまったのです。
共産主義の誤った人間観
共産主義は、人間を単なる高等動物とか動く物質、すなわち、機械と同じように取り扱っています。これは神様を否認する共産主義としての、あまりにも当然の結論です。共産主義は、人間の起源を猿が進化したものとみなしていて、猿は労働をするために道具を使用することによって言語を学び、その言語から理性が発達して人間になったと定義しています。すなわち労働は神様であり、人間は高等動物であると主張しているのです。
この共産主義の人間観には、根本的に問題があり、このような間違った人間観から人類に対する恐るべき犯罪が引き起こされるのです。人間が単なる高等動物であるとき、人間は人権を主張する何らの理由もなくなるのであり、人間が単なる機械になるとき、その人間には、自由とか愛とか創造力をもち得る何らの土台もなくなります。そのような共産社会においての人間は、ただ暴力革命の一手段にすぎないだけです。
彼らの主張によると、人間が共産主義の目的に符合される時にだけ、それは人間であり、それ以外の人間は無価値的存在であるとされていることは、あまりにも当然のことなのです。共産世界で人間が蝿の命のように軽視される理由はここにあります。ソ連共産革命以後六十年の間に、少なくとも一億五千万人の誣告の人命が、反共産主義という口実によって虐殺されたという事実(一九七八年十一月十八日、仏「ル・フィガロ」誌)は、共産主義の人間観の誤りによるあまりにも自明なる結果です。
真なる人間観
人間の尊厳性と人権は、人間が創造主なる神様の子であるというところから起因するものです。人間が神様と同じように神性をもっているということから、人間の高貴な価値が生まれるのです。人間に害を及ぼすことは神様を害することであり、人間を愛することはすなわち神様を愛することになるのです。人間一人一人は神様が造られた個性真理体であり、人間一人一人は神様が自らを表される実体であり、人間の生命は神様が永遠であらせられるのと同じように、永遠のものです。
共産主義が人類に対して犯した最大の罪悪は、その思想が神様を否定するだけでなく人間を動物視するところからくるものです。共産主義は人間を単なる高等動物とか動く物質、すなわち機械とみなしています。それゆえ、共産主義を信奉する国々では、体制自体によって人権の尊厳性が驚くほど根源的に否定されています。
互いに対立する、この二つの価値観の対決は、韓半島のみならず、今や世界の至る所で起こっています。まさに、世界的な価値観の南北戦争の時代なのです。この価値観の対決を世界的な次元において解決しなければ、共産主義の問題は解決できないし、我々の南北統一も一つの妄想にすぎません。それゆえ、世界問題の解決なしに南北統一はあり得ず、また韓国問題の解決なしに世界問題の解決はあり得ません。同じ方法をもって、世界問題と韓国問題が解決されるからです。
神主義による価値観の解決
皆様。このような見解をもちまして、私がこの世界的な価値観の混沌を解決すべきとして提唱してきた思想が、「神主義」または「統一思想」です。神主義とは、神様の実存を明白にして、神様から賦与された神聖不可侵の人権を明らかにして、共産世界を思想的に解放し、もう一方において今日没落しつつある西欧文明を、世俗的な人本主義と退廃的な物質主義から解放しようとする思想です。この思想をもって、我々は北韓を解放し救出するのです。それゆえに、南北統一運動は、まず価値観の確立の提示から出発するという理由がここにあるのです。
自由統一のみが真なる統一である
このように、互いに反目する価値観の対決であることを考えてみる時に、我々がまず肝に銘ずべきことは、自由統一のみが我々の願う真なる統一であるということです。我々の統一は、神様と自由と民主主義をその基礎とする統一でなければなりません。その他、いかなる形態の統一であっても、それは真なる統一ではありません。
自由は、神様があらゆる人間に賦与された神聖不可侵の権利なのです。このことは私の権利であり、皆様の権利でもあり、北韓同胞の権利でもあるのです。北韓の同胞は、その権利を四十二年の間、剥奪されてきました。彼らも、我々と同じように自由を享有するための統一、それこそが真なる統一なのです。
我々はあのベトナムを教訓として、大切なことを学ばなければなりません。ベトナムは統一されたのではなく、ソ連の奴隷となったのです。それは真なる統一ではありません。ベトナムの赤化十二年間に、自由を追い求めて脱出した数十万の人々がボート・ピープルになって海上で息絶え、数百万の人々が粛清されました。いわゆる統一されたという共産国ベトナムは、国民所得が百ドルにも満たない世界最悪の貧困国家に転落してしまいました。誰もこれを真なる統一と呼ぶ人はいないでしょう。
我々の北韓同胞に必要なのは真なる解放なのです。彼らが待ちこがれる解放は、我々が先頭に立って、世界の運勢を引き寄せてくる時にのみ可能となるのです。これはまた、過去四十余年間、南韓でより自由で幸福な生を享受してきた我々の、北韓同胞に対する神聖なる義務でもあるのです。
北韓は赤化統一政策だけを堅持する
北韓共産党は、今日まで四十年間ひたすら赤化統一政策だけを堅持し、その機会を虎視耽々とねらい続けてきました。彼らの南韓解放の究極の目標とは、「南韓を米帝国主義の支配から解放することにより、祖国を統一して、南韓国民を北韓人民と同じように主体思想化させる」と、規定しています。南韓の国民を主体思想化するということは、言い換れば、「金日成唯一思想によって武装させる」ということであり、それはほかならぬ金日成父子の絶対的な支配下に屈服させるということなのです。すなわち、これは金日成に奴隷化されることを意味します。
このような狂信の中で年中無休、南侵を準備し続けて四十年余り、彼らは六・二五動乱の時に失敗した苦い経験を生かして、三十余年をさらに準備し続けてきたのであり、今や、呻吟する南韓国民を解放するための革命的南侵の機運は、その絶頂に達しているのです。
このような南北対峙の緊張が高まっている状態の中にも、我々の大韓民国は目覚ましい経済発展と、国際的地位の向上を勝ち得ています。
実際に、韓国と北韓の国民総生産(GNP)の対照は、一九八五年末に五・五対一という格差を見せていて、韓国は世界の中で二十位のGNPを記録するようになり、世界で十二番目の通商国にまで発展しました。
したがって、一九八八年のソウル・オリンピック以降には、韓国は経済的にも軍事的にも、絶対的有利な立場に置かれることは火を見るよりも明らかなことです。それゆえ、北韓の信仰的に信奉してきた武力赤化統一の機会が永遠に消え去ることを見通した金日成一党は、これを手遅れになる前に阻止するという目的で、今後あらゆる策動を繰り広げてくることは間違いありません。現にそれが行われているのです。
韓国を混乱に陥れるためのありとあらゆる宣伝と策動により、韓国の政治的混乱を起爆薬として、ソウル・オリンピックの開催を阻止し、韓半島の不安と緊張を醸成させ、最後の渾身の死力を尽くした軍事的冒険主義を選ぶ可能性が大であり、今後の一、二年がその決定的な時機であることを断言します。
このような重大な時点に、我々が「南北統一運動国民連合」を結成したということは、実に歴史的なことです。
価値観の確立と思想をもって武装しよう
我々の国民連合は、この時点において何をなすべきでしょうか。まず初めに、我々は民族の和解と一致に向かっての真なる価値観を確立し、その価値観を中心として思想武装をしなければなりません。アメリカをはじめ自由世界の弱点は、思想の空白が存在するという点です。物質の豊饒と自由の澎湃が、価値観の混沌と、世俗的人本主義の台頭をもたらしたということは事実です。自由世界は、思想面において繰り返し後退してきました。これは滅びゆく共産世界が、最後まで世界赤化の野望を放棄しない理由によるものです。
第三次世界大戦は思想戦です。共産主義を軍事的にのみ敗北させることはできません。共産主義の思想を凌駕することのできるより優れた思想なくしては、共産主義を敗北させることはできません。その思想こそが、すなわち真理に立脚した思想です。その思想がほかならぬ神主義なのです。
偽りは真のみが克服できるのです。これからの自由世界は、神主義、すなわち統一思想で武装して理念的攻勢に転換しない限り、共産主義に打ち勝つことは不可能です。
「南北統一運動国民連合」は、汎国民的思想武装運動における先鋒に立たなければなりません。神主義は北韓同胞を解放するばかりでなく、全世界の共産主義を解放してもあまりあるものだからです。またこの理念は、放縦と不道徳で腐敗していく西欧世界にも、一大精神覚醒運動を起こし得る契機となるものです。
それで私は、一九七六年にアメリカの首都ワシントンで歴史的な神主義宣布大会を行ったのち、次の大会はモスクワで開くことを宣布したのです。神主義により共産主義の世界を解放できるという信念があるからです。共産主義が速やかに衰退しない原因は、今日まで我々にはっきりとした代案がなかったからです。また、より優れた思想によって武装されていなかったためです。これからは大韓民国から思想運動を引き起こして、共産主義克服のための汎世界的運動を展開いたしましょう。我々が思想的攻勢を取って虚偽と欺瞞で飾られた金日成の唯一主体思想を圧倒できずして、どうして統一を願うことができるでしょうか。
神主義は頭翼運動
我々の統一思想、神主義はまた頭翼思想でもあります。右翼でもなく左翼でもない「頭翼」(ヘッドウィング)です。人類の真なる平和は、右翼によっても左翼によっても成し遂げられません。その理由は、右翼も左翼もその根本的な動機が利己主義を解脱できないからです。己を中心として自国の利益のみを追求する時、そこには永遠になくなることのない利害の衝突があり、そこには統一もあり得ず、平和もあり得ません。
今や利己主義を打破する新しい世界主義が出てこなければなりません。自分より他のために生きるという利他主義は、ただ神様の理想においてのみ出てくるのです。それは神様が愛の本体であり、愛の本質が自己を犠牲にして他を生かす利他主義にほかならないからです。したがって、神主義の本質は愛であり、その思想は人の四肢五体を動かす頭と同じような中心思想です。それが頭翼思想です。右手も左手も一つの身体に付随するものです。もし頭がない場合、それらは互いに他人同士のごとく戦いますが、頭が中心に位置すれば右手も左手もみな頭の命令に従って、身体全体のために働く一つの共同体になるのです。
それゆえ、南北統一も頭翼思想によって成し遂げなければなりません。これは北韓が南韓を赤化統一することでもなく、南韓が北韓を侵略することでもありません。共生、共栄、共義の頭翼思想で南と北の価値観を統一することによって、真なる南北統一を成就するのです。
南北統一を信仰化しよう
第二に、我々は統一の熱望をもち続けなければなりません。熱望のないところに実践は伴いません。我々の国民連合は、これから南北統一を信仰化する運動を繰り広げていかなければなりません。統一は我が民族の宿願であるのみならず、必然の信仰でもあります。統一に向かっての我々のわき上がる知性がある時、神様はこれを成し遂げてくださることと信じています。
この点において、今日まで我々は北韓に負けていたと言っても過言ではありません。彼らは強制によるよらないはともかくとして、南韓の解放という熱望をもっています。そして誰もが、これを成し遂げるためにはすべてを投入して、犠牲になろうとする姿勢をもっています。
今や、我々の統一の熱望、自らを犠牲にしてでも必ず哀れな北韓同胞たちを解放しようとする熱望なくしては、南北統一は幻想にすぎません。そこで私は、この国民連合の宿願事業として、三十八度線の近傍に「統一祈願殿」と「統一訓練院」を建立して、我が四千万の熱烈な統一への熱気を北に噴き込む事業を計画しています。
我々の実力を育成しよう
第三に、我々は実力を育て養わなければなりません。我々の統一の方案は、平和的な統一の方案であり、そのためには各方面で実力を育成する必要があります。我々は金日成の赤化野望を放棄させて、その閉鎖された社会を開放し、究極的には南侵の意図を放棄させなければなりません。金日成の主体思想を放棄させるためには、彼を百方において凌駕するその実力をもって、金日成一党を圧倒しなければなりません。また、その実力でもって、彼がやむなく承服して順応するように仕向けなければなりません。
ここで、まず第一に大切な実力は価値観の確立であり、思想武装であることは既にお話しいたしました。次には我が国力の伸張であり、国際的な地位の向上です。さらにこれらの実力の中で大切なものは、我が祖国の先進的民主社会の建設です。
真なる民主主義のみが独裁に勝ち得るのです。個人崇拝の独裁集団に対しては、健全なる民主政治の発展を通じてのみ、それを無力化させることが可能なのです。「人民の、人民による、人民のための政府が、この地上から消え去ることのないようにしなければなりません」と宣言したエイブラハム・リンカーンの、この言葉は真理です。ですから我が祖国の民主化は、歴史の命題であり、国民良心の至上命令でもあります。
国際的な統一への機運の醸成
最後に、南北統一のために養わなければならない我々の実力の中で最も大切なものは、国際的に我が祖国統一の機運を醸成することです。言い換えますと、世界的に思想武装を急がなければならず、アメリカを中心とした世界情勢、日本、中国を中心とした韓半島の周辺情勢をもって統一の機運を醸成するために、積極的な方向に導いていかなければなりません。ソ連をも動員して、閉鎖された北韓を開放させるようにして、究極においては北韓が閉鎖された現体制では存立できないということを悟らせるようにすることです。彼らをして、国際的な圧力と運勢に堪えられなくして脱共産主義宣言をさせるようにし、民族大同団結の次元から考えざるを得ないという運勢をもたらさなければなりません。
虚構と欺瞞の上に立つ金日成体制は、一方では非常に強いもののように見えながらも、その一角が崩壊し始める時、彼らの体制は絶壁を転がり落ちる物体と同じようになります。
早くから私がアメリカに世界本部を設けて、自由世界の思想教育に努力してきたことは皆様もご存じのとおりですが、「ワシントン・タイムズ」をはじめ、各種の言論機関を世界の至る所に設け、また世界の言論人を教育し、世界各大学の教授に方向性を提示し、世界各国の学生運動を指導し、退役将校などを中心に在郷軍人を糾合し、南米諸国統合の運動を繰り広げつつ、世界宗教一致運動を長い間、直接推進してきました。このように、前もって私はあらゆる面に力を尽くして、アメリカ、日本に影響を及ぼし、ヨーロッパ、南米各国にもその基盤を築き上げ、ついには中国にまで影響を及ぼして、北韓解放の国際的与件の醸成に全力投球してきました。
韓国は、地政学的にも極めて微妙な位置にあります。韓国を巡る四大強国、すなわちアメリカ、日本、ソ連、中国は、我が韓半島において各々重要な関心と利害関係をもっています。我々はこの四大強国に影響を及ぼして、我々の統一の偉業に有利な方向に導いていかなければなりません。そうせずしては、我々が願う祖国の統一は到来しません。そのような影響力と実力を、私は国際舞台での思想教育運動、その他いろいろの分野からの成功を通じて成し遂げてきたのです。
このような基盤の上で出帆する「南北統一運動国民連合」は、決して韓国だけの単独的な努力になってはならず、アジア各国、ひいては世界各国との紐帯をもつ国際連合運動に発展しなくてはなりません。そこで我が国民連合は、これからアジア国民連合に向かって発展し、また世界国民連合へ発展していくことでしょう。これが全世界人類の念願であり、また神様の念願でもあります。
皆様。我々は今、ここで民族的、世界的なこの偉業を受けなければなりません。この歴史的な統一の偉業のためには、義人たちの手が差し伸べられる皆様は、このような歴史的な召命を受けて、「南北統一運動国民連合」結成のこの場に集まったのです。
檀君国祖の開国精神は、「敬天愛人」の思想です。今日、我々のその崇高なる開国思想が昇華されて、世界を価値観の混沌から救援する万民救世の思想、すなわち「神主義」が、この地に発祥したのです。
私は、韓国問題は世界問題の縮小体であり、世界問題の解決は韓国問題の解決と不可分の関係であると考えます。このことは言い換えると、我々の韓国においてこそ世界問題を解決できる方法が生まれるという意味にもなるのです。そうです。我々が南北統一の方法として提示する神主義は、世界を共産主義から、さらには世俗的な人本主義から解放する方法ともなるのです。
愛国同胞の皆様。
我々はお互いに自らの価値観を確立して、国民思想武装に総決起しましょう。我々は共に南北統一の熱望をもち、これを信仰化して、鉄壁をも貫くことのできる情熱を燃やしましょう。
我々は大役事の行進の最前列に立って、永遠の民族史の中で最も雄壮な南北統一の場を、神意に従って我々の手で成し遂げるのです。その自負と決意をもって、この「南北統一運動国民連合」を通じて、世界的な実践の基盤をつくりましょう。
皆様。きょうこの場所は、我々が共に統一の役軍として召命され、任務を授けられた神聖なる場所であることを心に刻んで、こぶしを握り締めて統一の誓いを立てましょう。我々の所願である南北統一が成される時まで、一つになって総進軍しましょう。
皆様方と皆様方のご家庭の上に、神様の祝福が共にありますよう祈りながら、「南北統一運動国民連合」創設のメッセージといたします。(一九八七・五・一五)