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二.怨讐国家に天国へと向かう出発点がある

 今までクリスチャンたちは個人的な怨讐だけを考えてきましたが、そうではないのです。統一教会は怨讐の国家であるとか、怨讐の世界をも愛さなければなりません。天国に向かう出発点が怨讐国家にあるのです。怨讐国家の中心に天国の出発点があるので、そこに伝統の基盤をつくって出発しなければ、地上天国は成し遂げられません。このようにして伝統を立てたなら、この先どのような歴史が続こうともこの理想の思想、この理想を消化する主義は生まれません。

 四大怨讐国家に世界的な勝利の基盤を整え、天の伝統の基盤を整え、その上に天国を出発させるのです。それを成し遂げる時そこから地上天国は始まります。(一九八三・四・三)

 神様のみ旨は個人の怨讐を愛することではありません。より次元の高い、国の怨讐を愛するということなのです。実例を挙げれば、日本人たちは韓国人である私とは怨讐の間柄であると言うことができます。なぜなら、私は日帝時代に抗日地下運動を行った人物であるからです。日本が敗亡した時、私を収監し苦しめた日本人たちのために夜ふろしきを包んで、安全に送ってやったことがあります。その当時の状況から言えば、日本人と韓国人は怨讐の間柄であり、日本人とアメリカ人が怨讐の間柄であり、アメリカ人とドイツ人も怨讐の間柄です。このような怨讐関係にある日本人とドイツ人をアメリカに連れて行って、アメリカが死にそうになったから生かさなければならないと、天の愛の道を実践しました。日本人やドイツ人にとって過去に怨讐の間柄であったアメリカを、自分の祖国以上に愛することのできる伝統を立てずには、天が願う新しい世界を指導できる理念を立てることができないと強調し、そのように伝統を立てながら歩んできました。それがただでできると思いますか。

 怨讐の間柄にある諸国家を、自分の祖国以上に愛することのできる基礎と伝統を成し遂げておかない限り、この地上に天国が顕現することができません。このような歴史的伝統を樹立するのは、神様の愛の中においてのみ可能なのです。そのためこのような神様の法則を知っている私が、アメリカ政府から屈辱を受けながら法廷に立った時にも、ワシントン・タイムズを発行させ、放送局を設立するなど、アメリカを生かすためにあらゆる努力を行ったのでした。今や世界のあらゆる戦略家たちを一堂に集めて、中共を連結しようという仕事を推し進めています。私の団体と人材を必要とする天の仕事なら、何でも行うつもりです。今や実力があるといっても実績がなければ支配を受けるようになっています。我々は実力を積むために多くの汗を流しているのですが、これは既に世界的によく知られていて、今日の生活舞台に普遍的に受け入れられる新しい運動として登場しつつあります。そのようにしなくては、国家を越えた神様の愛の世界は成し遂げることができないのです。(一九八六・三・一四)

 皆さんはこのことを心に刻んでおかなければなりません。先生の立場から見れば、日本民族は怨讐でした。民族的にはもちろん、個人的にも怨讐でした。しかし日本の敗戦後、先生は日本人を愛しました。追われている日本の警察官を助けてやったりもしました。今日本の多くの若者がなぜ先生に永遠の命を懸けて忠誠を尽くすのか、お分かりですか。因果法則に従って報いなければならないからなのです。国家を超越して神様の心情的なみ旨に従い、世界に向かって愛を植え付けたからなのです。国家的な怨讐を愛して生きる道へと導く心情的な基盤を植え付けたからなのです。

 先生が地下独立運動を行ったといって連行して、荒々しい拷問を加えた日本の警察官たちは、先生の一言ですべて銃殺ものであったにもかかわらず、私は荷作りをして送り返しました。自分も知らない間に天命に従っているのです。そして、イギリスはキリスト教文化圏であったのです。日本を差しおいて、もしも神様がイギリスを選んだならどうなっていたでしょうか。しかし最も罪の多いその怨讐国家を中心として、統一教会は出発しました。それは原理に現れています。(一九八三・四・三)

 天は滅んだ者を再び打つというようなことはされません。滅んだ者の中で自分の罪を進んで認め、謝罪する者に対しては憐れみをもって臨まれるのです。そのような天があるために、敗者に対してまた刀を打ち振るようなことがあれば、打った者の子孫が滅びるのです。それゆえにそのような人々のために、友達以上に近い立場から精誠を込めて導いてあげるのです。共産党に対してもそうしなければなりません。(二五―三三三)

 アメリカは文牧師の怨讐です。怨讐の国を救うために母親、父親、大韓民国がめちゃくちゃになり、生きるの死ぬのというような状態になっても、顧みることなくこの仕事をしているのです。私はサタン世界を救うために、私に属するあらゆるものを捨てました。家庭、親戚、国家……。今韓国の状況はアメリカよりもっと難しいのです。それにもかかわらず、なぜ韓国に戻らないのでしょうか。何よりも怨讐の国を愛さなければならないからです。この国を救った後で帰るのです。これが原理観であり、伝統的な見方なのです。そのことを知らなければなりません。これはサタンの見方ではなく神様の見方なので、そのような生活をして、そのような環境が生まれれば、サタンはそこを侵犯することができず、主管することもできません。(一六一―二四九)

 既成教会が我々と争ったでしょう? 怨讐になったのです。しかしこれからは怨讐のように争ってはならないのです。一つにならなければならないのです。それならこのように一つになって何をしますか。大韓民国を天のみ旨によって救わなければならないのです。この二つが合わさって以北を消化しなければなりません。分かりますか。(はい)。これが解放直後にそのように展開していたなら、既成教会と統一教会とが一つになっていたならどうでしょうか。その時はまだ政府もなかったので、一度にあらゆることが解決されていたでしょうに、それができず、このような複雑な環境を経るようになったのです。そのために、我々が行く道の前には個人的な怨讐、家庭的な怨讐、氏族的な怨讐、民族的な怨讐、すなわち戦いの怨讐の場が展開しても、戦わないで結果を探し出すために、我々は多大な犠牲を支払いました。また怨讐に対して打つことをしないで、このような受難の道を克服してきたのです。(六五―二二一)

 我々が以北に入っていけば、以北の共産党は全部思想武装をしているでしょう。ですから、それに対して我々は愛の思想で武装しなければなりません。そこは冬の冷たい風が吹きすさぶ北方文明なのです。ソビエト文明から来た北方文明です。それに対し、我々は温帯文明として、そのままほっておいても彼らが自然に解けることのできるような作用をしなければ、二つの国が滅びるというのです。ですから徹頭徹尾思想武装をしなければなりません。

 その思想は個人の欲望のためのものではなく、世界人類を救うためのものです。自分を中心としたものではありません。共産党の連中は何人かの共産党の幹部を中心にやろうというのです。金日成なら金日成以外は一切受け入れないのです。毛沢東なら毛沢東以外は一切受け入れないのです。自分の敵が出てくればその首を切ってしまうのです。

 我々はそのような者たちではありません。「相対的な環境と和合し一つとなって、より高い次元の相対的基準を成し遂げよう。すなわち、カインとアベルが一つになって、より高い父母を迎えよう」。そのような思想なのです。(六三―五三)

 南韓が北韓を武力で打って屈服させるのではありません。我々は彼らより強い思想の基準をもたなければなりません。彼らが国を愛する以上に我々も国を愛さなければならず、彼らが共産主義を愛する以上に我々も天を愛することのできる強い力を思想的にもって、人格的な面で彼らを自然屈服させることのできる実力者とならなければなりません。そうでなくては北韓を吸収することができないのです。

 繰り返して言えば、生活的に感服させ、人生観や生涯を通じて感服させることのできる人格的な基準、人格の価値を中心に見るとき、共産主義の思想をもって武装した彼らを凌駕することのできる我々とならなければなりません。我々が彼らに影響を及ぼすことのできる環境をもたなければ、カイン国家を復帰できなければ、天の国を中心として世界的な国に帰ることのできる、復帰の国家は成立されないのです。(四六―一二三)

 南北韓が分断されましたが、北韓と戦わずに解放させようというのです。金日成を自然屈服しなければなりません。(一九八一・一一・一九)