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この世には数多くの人々が生きています。その中の一人が「私」であることを我々は知っています。今この地に生きている人々が、いかなる関係をもって生きているかということを考えてみる必要があります。
この地球上には多くの国がありますが、その国々がみな一つになれずにいます。また数多くの民がいますが、その民がみな一つになれずにいます。家庭と氏族もまた同じです。
皆さん自体を置いてみても、体と心が一つになれずにいるというのです。我々はこのような実情の中で生きています。我々がどこに行っても見ることができ、感じることができ、体験できることは、一つになれない不信の環境です。
しかし我々の本然の心は、このような社会、このような環境を願わず、平和で統一されたその何かを追求していることを否認できません。
これが否定できない実像ならば、我々の安着地、目的地はどこでしょうか。この宇宙の中で信仰を探すことができる所だとか、あるいは頼ることができる所がどこかというのです。
現世に至っては、信仰人の中にも信仰を探しみることができず、世界、国、社会、そして父母、妻子がいる家庭も、頼ることができる所になれないということを知ることができます。しかしここで問題になっているのは世界ではありません。国や社会、家庭も問題になりません。
結局、私が自分自身の統一的基盤をどのように築くかということが極めて重要な問題です。私が統一の世界を願うならば、私自身から統一されなければなりません。私から一つになった立場に立たないで、統一的世界と関係を結ぶということは、理論的矛盾だと見ることができるのです。
この世界が不信の世の中であり、統一できない世の中だと見る時、この世界が一つになることができる所がどこでしょうか。同じように、国が一つになることができる所がどこで、家庭が一つになることができる所がどこかというのです。世界や国、あるいは家庭全体が統一されたその中心、その一箇所を探そうとしてる時、その中心ポイントは結局「私」という人に帰着されるというのです。
すべてのものが一つから出発するので、一つから統一的基盤を築かずには全体の統一は不可能です。混乱の中でも一つになることができる基準は私自身にあるというのです。「私」という存在を拡大させたのが世界であり、宇宙であるためです。(一九八三・六・五)
統一基盤は個人から家庭、氏族、民族、国家、世界へ広がるのです。個人的な基盤がこうならば、家庭的基盤はこのように上がっていくのではなく平面に倒れるのです。四方に広がるのです。個人が家庭を中心として愛とみ旨の和合体になるならば、また別の主体になるのです。また、氏族を中心として一つになれば、また別の主体になるのであり、民族を中心として一つになれば、また別の主体になるのであり、国家を中心として一つになれば、また別の主体になるのです。このようにして世界を愛とみ旨の圏で和合できるようになる時に、統一世界は展開されるのです。このように見るのです。
例えば、ここにメートル尺があるとしましょう。実際の一メートルはこのくらいなのに、自分勝手に物差しを作って「これくらいが一メートル」として測ってはなりません。自分勝手に測ってはならないのです。メートル尺は必ずメートルの原器を中心として製作されたものでなければなりません。それをもって測らなければなりません。もう一度言えば、中心を置いて比較された立場で評価しなければならないというのです。それでこのように話をするとしても、それを中心として測ってしなければなりません。行動をしても、それに合わせてしなければなりません。それでこそ平和の基盤が築かれるのです。統一の圏が展開されるのです。(五一―八〇)
統一基盤の母体がどこかというならば「私」です。私がどのようしなければならないのでしょうか。まずは私の心が神様の愛と一つにならなければなりません。一つになったということは何かというならば、垂直関係になったということです。その次に垂直関係を中心として、横的に私の体と一つになり、横的線を引かなければなりません。そのようになれば完全に一つになるのです。そのように完全に一つになったという立場は、縦的にも結集され、横的にも結集された自体として内外が一つになったゆえに、内は内だけの内ではなく、外は外だけの外ではありません。二つが合わさって、お前と私がふさわしい立場で、お互いが自体を公認できる立場で、新しい第三の目的点を中心とした「私」になるのです。それは何の話かというならば、体と心が一つになった立場において、対象を中心とした立場で「私」という自覚が生じるのです。
それゆえ、今日一番問題になるのがまさに「私」です。世界のために精誠を込めることも必要ですが、その前に、私が神様と共に正しい姿勢で、心と体を中心として完全に中心核に立つことができる個体を確保するか、できないかが最も重要な問題です。これが決定される日には、自分を中心として統一的な核、統一自体を中心とした統一基盤が確保されるのです。(五一―七四)