P.469

五.統一の方案は私自体の中にある

 

 統一方法は私自体から定立しなければなりません。皆さんがそれを知らなければなりません。私を愛すると考えてはなりません。「私」というようになれば、神様の愛が内包された私、み旨と愛が結集されて自体に和した私を考えなければなりません。(五一―八二)

 

 統一方法はどこにあるのでしょうか。世界主義ではだめです。世界の民主主義をもっていくら作ろうとしてもそれができますか。だめなのです。完全な製品を作ろうとするならば、まず付属品を正しく作り出さなければならないのです。そうでしょう? ですから皆さん自体の人を、完全な人としてつくることができる完全な工場を造らなければなりません。それが何でしょうか。完全な宗教です。完全な宗教を探してくるのです。

 統一方法は大韓民国の南北で成されるのではありません。人間自体で闘っている体と心の闘いをどのように闘わないようにし、心が主導権をつかんで平和の基準を維持させることができる体の圏をどのようにもつのでしょうか。これが問題です。その体を連結させれば世界になるのです。(四七―二七三)

 

 世界は民主世界と共産世界に分かれていますが、民主世界は唯心史観であり心の側で、共産世界は唯物史観であり体の側です。このように分けざるを得ません。この二つの世界が今大きな波紋を起こしていますが、この波紋がどこから始まったかというならば、皆さん自身から始まりました。そうでしょう? 皆さん自身がその波紋の種です。これが問題なのです。だから皆さんは、世界のある政治家によってこの世界が統一されると考えてはいけません。だめなのです。

 統一方法はどこにあるのでしょうか。それは外部にあるのではなく内部にあります。統一はどのようにしなければならないかというならば、私の体と心の闘いを評定させて、心が先に立つようにしなければなりません。そのようにして心が行こうというままに、私自体が行かなければならず、家庭が行かなければならず、社会が行かなければならず、国が行かなければならず、世界が行かなければなりません。このようになれば統一は自動的になるのです。(三九―二六七)