P.461

二.最も根本的な問題は体と心の闘い

 

 歴史上の闘いは氏族時代から宗族時代を経て、民族時代に発展してくるところにおいて、経済的な問題が動機になり闘ったのではありません。その闘いがある前に、体と心の闘いが先にあったことを知らなければなりません。環境的な闘いの平定は一時的にできることですが、体と心の平定を探すための闘いは、歴史と共に進行しているということを知らなければなりません。

 昔の孔子もそうであり、イエス様もそうであり、釈迦もそうであって、この時代にいかなる道人が出てきたとしても、この体と心の闘いは継続されるのです。闘いの方法と様相は、いつも体と心の闘いなのです。今まで人間は、新しい第三の環境に越えることができなかったというのです。ここで人生が何かという問題が生じます。それでパウロのような人は「ああ、私はなんというみじめな人間なのだろう」と言いながら嘆息したのです。

 この闘いの歴史は今なお終わっていません。今日共産主義がいう理想的な共産世界が成されるとしても、やはり体と心の闘いは継続されるのです。

 それでは根本的な問題とは何でしょうか。外的な環境を平定することは間接的な問題であり、直接的に平定させなければならないことは自我を中心とした体と心の闘いです。これをどのように解決するかということが根本問題なのです。この体と心の闘いが内的な闘いであり動機であり、世の中の闘いは外的な闘いであり、結果なのです。ところで世の中の人々は外的な闘いしか知りません。ですからその結果を打診して世の中を収拾するようになるのです。(一八―六〇)