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一.統一の核心的な基点
統一をするところにおいて核心的な基点になるものとは何でしょうか。これが問題です。統一をするには、いかなる基準を中心として統一しなければならないのであり、またその統一の基盤がどこに置かれなければならないかということが問題だというのです。我々統一教会の立場から見る時、その基盤がどこに置かれなければならないかというならば、教会を中心として置かれなければなりません。教会を中心として置かれなければ国を中心として置かれることができないのです。ところで教会を中心として統一基盤が置かれるためには、必ず新しいみ旨と一致する家庭を中心として統一の基盤が置かれなければなりません。家庭にこの統一的な基盤が置かれなくてはならないのです。家庭が合わさって、一つの理想的な民族的形態を備えることができる道場が教会で、理想的な教会の基盤になるのが家庭であるがゆえに、家庭が一つの統一基盤を立てることなしには、教会や国家も統一的な基盤を準備することができないのです。それゆえ、何よりも家庭が問題になるのです。
それでは統一的基盤を造成できる家庭をつくるためにはどのようにしなければならないのでしょうか。個人へ帰るのです。問題は我々各自が統一の基盤の上に立つことです。ここにおいて各自が立てなければならない統一的基盤とは何でしょうか。本来各自が立てなければならない統一的基盤は、堕落する前エデンの園から立てられなければなりませんでした。エデンの園で神様を中心として人類始祖であるアダム、エバが一つにならなければならず、その人類始祖を中心として天使長が一つにならなければなりませんでした。このようになったならば、アダム、エバを中心として、天使長が神様と一つになることができたということを我々はよく知っています。
それでは統一の基準とは何でしょうか。それは結局、神様と我々の人類始祖と天使長が一つになることです。それゆえ、このような基準を今日に代入させて、私自体に勝利的基盤を確保することなしには、我々が願う統一の基盤は家庭でも形成されることができず、教会でも形成されることができず、国と世界でも形成されることができないのです。これはとやかく言うことでありません。ゆえに、どのようにしてでも私の個体が神様と一つにならなければなりません。まず神様と一つになった後に、天使長と一つになる基準をどのように立てていくかということが、今日に処している我々個体において何よりも重要な問題です。
ここで天使長は天使世界を代表したものであり、「私」は神様の愛を受けなければならない息子を代身した立場です。天使長が僕の立場ならば、我々人間はその僕の立場を抜け出して、息子の立場を代身しなければならないのです。(三八―一三)
統一の根本核心はどこにあるのでしょうか。神様の愛で私から始まり、世界を経て、勝利して帰ってくる所だけに統一の根拠があるのです。体と心がそのようにならなければなりません。それが先で、その次に家庭を経て、宗族を経て、反対する立場をみな愛で克服し勝利するところに統一の根拠が連結され、これがみな成されて帰ってきて、神様と一つになってこそ初めてこのすべてのものが完結されるのです。(九四―三〇四)
歴史が願う基準と神様が願う基準に一致される、そのような人が出てこなければならないのです。それでは、そのような人が出てこなければという問題の起源がどこから起こったのでしょうか。人間の堕落によってそのような問題が起こったのです。人間の過ちゆえに問題が起こったのだから、これを再びひっくり返さなければなりません。何が誤ったのでしょうか。第一は心情問題です。二番目は血統問題です。三番目は人格問題です。四番目は言語問題です。五番目は生活問題です。六番目は国家問題です。七番目は世界問題です。このような問題が起こったのです。
堕落という問題をおいて見る時、本然の価値を喪失することにより、いかなることが起きたのでしょうか。心情の交差路が生じました。その次は血統の交差路が生じました。そして人格の交差路が生じました。また言語の交差路が生じたし、またさまざまな交差路が生じて生活に連結されて出てきています。全部がこのようになっているというのです。
しかし神様が復帰摂理をして来られるところにおいて、これがみな分かれていてはなりません。最初の問題から七番目まで、天を中心として統一されなければならないのです。堕落した世界での問題が何でしょうか。分かれたものが合わさるために交差される時が問題だというのです。今は民主と共産が交差される時になりました。交差される前までは統一されず、一つになりません。ここに理想的個体が合わさって、一つの方向を備えなければならないのです。これが統一方法です。(二八―二四六)