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第三節 韓国は摂理の終着国

一.五千年の悠久な歴史を続けてきた韓民族

 韓民族はいかなる民族よりも多くの恵沢を受け、いかなる民族ももてない優越した背景をもっています。そのような背景をもって生まれた人々は蔑視することができません。しかし、優秀ではあるのですが、まだ位置をつかめずにいるのです。

 我々の歴史を五千年歴史と言うでしょう? 五千年の歴史、長いものです。それではこの非常に長い五千年歴史の間、我々は何をしたのでしょうか。何をしたのかというのです。最近でも京釜線に乗っていきながら家々を見れば、まだ草家三間です。なに、草家三間がよいのだという人もいますが、もう嫌になるでしょう。他の国の豚小屋もそれよりはましなのです。ある外国の旅行者は、韓国は養豚が非常に発達していると見たというのですが、それは草家三間を見て言ったことなのです。韓国の草家を見て、それがみな豚舎だと思ってそう言ったというのです。これは気分が悪いこと、このうえありません。

 五千年の歴史をもったこの国が、なぜそうなのでしょうか。誇るものが何かありますか。ありません。しかしながら誇るものがあります。韓国は小さな国です。何と言いましょうか。顔に付いた小さないぼのようだとでもいいましょうか。このいぼをもった美人は化粧をする度ごとに気分がよいでしょうか、悪いでしょうか。悪いでしょう? これをもぎ取って捨てることは難しくはないでしょう。一時の痛みさえ我慢すれば、取り去ることができるのです。

 アジア地図で韓国を見てみなさい。実に美しい形をしています。しかし気分が悪いことに、あまりにも小さいのです。このように小さい我が国を、他の国が顔の上に付いたいぼを取るかのように取って捨てようとすれば、既に数千年前になくなっていたはずですが、五千年が過ぎた今でもその種が残っています。骨董品となって博物館に行っているのではなくて、今まで歴史的な文化をもって、なんだかんだしながら残ったのです。

 なぜ多くの国がこのように小さい我が韓国をもぎ取って食べたり、取り除いたりすることができなかったのでしょうか。それは韓国民族が頭がよいからです。それで今まで残ったのです。私はそのように考えます。もちろん我々の歴史に悲惨な歴史がなかったということではありません。外勢に追われるその度ごとに、それを退けるためにありとあらゆる業をしなければなりませんでした。そうしようとすれば、八方美人にならざるを得ませんでした。ある時には男が女にもなり、女が男にもならなければなりませんでした。そうしようとすれば、自分に迫ってくることを選んで前処理、後処理をすることができませんでした。

 しかし、一つはっきりしていることは、韓民族が残ったということです。それも頭がよいのでこのように残ったというのです。解釈をそのようにしましょうということです。そのように解釈すればこそ心が平安ではありませんか。「我々の祖先たち、この祖先のやつらめ」と言うよりも、「我々の祖先はよくやった。国を売り払わずに残してくれて有り難い」と言ったほうが、眠るときも心が安らかだというのです。事実、頭がよかったために、今まで残ってきたのです。

 それでは、そのように残ったのは何のためなのでしょうか。このよい天然的、自然的背景を中心として素晴らしく生きるために、大きく一勝負してみようということなのです。韓民族はそうすることのできる頭をもった民族です。では、なぜこのような韓国民族が今までよい暮らしができなかったのでしょうか。よい生活をしては、群れをなしている盗賊たちに盗まれるからなのです。分かりますか。よい生活をしたなら、群れをなす盗賊に襲われたことでしょう。ならず者たちが打たなければ、天が打つようになっているのです。(二五―一五九)