お祈りするときの心情は、おなかがすいたとき、子供が乳を恋しがるのと同じくらい切実で切ない心で祈らなければならない。
祈る方法は、
@神様の六千年の復帰の心情を私の心情として、
Aイエス様の言うに言えない心情を理解する心情で、
B先生の抱かれているみ旨と、その成就のため切ない路程を慰めながら、
Cみ旨のために出て戦っている食口たちの立場を考えながら、
D私の反省と私の誓いを中心としてただひたすら祭物となった立場で祈りなさい。
この世でも挨拶をするのにその方法があるではないか。祈りにおいても研究してやりなさい。
祈りはその特定の人のためにする祈りと、また公義のためにする祈りとの二つの種類に大別され、その祈りを当事者が受けないときには、その恵みが自分に来るし、公義のための祈りは審判の時を短縮してくれる。
祈りは深い水がめと同じである。祈りの雰囲気は我々の肉身生活における呼吸と同じようなものである。
天に対して祈るときは、子供が父の前で頼むような純粋な心情で祈らなければならない。
私の心と体を善悪に、冷静に分別して、み旨に対して祈りなさい。また、天の前に自分の罪の自覚をして祈りなさい。
今までは、「恵みを下さい」と祈ったが、これからは「私のものを差し上げますのでもっていってください」と祈る時である。
神様を感動させることのできる立場に立ちなさい。おなかがすいたとき、私を捕まえて祈らずに、神様にすがって祈りなさい。「お父様! 今日まで復帰の道を行くために子女たちがどんなにか飢えていたことか。
そしてそれを見つめていらっしゃるお父様はいかに悲しかったでしょうか」。
蒼白な顔にも祈りの生活をして霊的な実力を備えなさい。霊界を主管して、原理に精通するようになれば、自信をもつようになる。
主に祈ることを多くしなさい。祈れば一人で生活しても絶対に寂しくない。祈りは呼吸するのと同じである。
たくさん祈れば霊的に明るくなるし、善悪に対する分別力と感性が鋭くなる。
常に祈りの生活をしなさい。往来しながら、み言のとおり生きることを祈り、父のみ言が血と肉となって動くように祈りなさい。
祈りは私個人のためだとか、自分の家庭のために祈るよりは、人類全体のために祈れば私には人類全体が祈ってくれてなした結果が返ってくる。
まず、心の中に平和をなしたあとに祈りなさい。
先生が呼ぶお父様と、皆さんが呼ぶお父様とは名は同じであるが立体性は異なる。
「お父様! 万民に与えてあげたいので、与えることができるようにしてください」と祈りなさい。
神様と私が一体となること、天と地を糾合して、神様に侍ることが先生の祈りの題目である。我々が寝ても覚めても思うことは神様のための一つの主権、一つの人類、一つの国土を立てることである。
祈りは誠を集中させること。
祈りは自慢しに行く時間でなく、祭物を捧げるために行く時間である。私を祭物として喜びに変えてくださいと切に願わなければならない。
祈るときは自分自身を中心として祈らず摂理歴史において願ってきた神様の心情を中心として祈らなければならない。
物質のための祈りより、人のための祈りをしなければならない。物質のための祈りをしようとすれば自己の財物をすべて捧げて、それを条件として祈りなさい。
先生は神様の前に祈った内容のなされることが恐ろしいときがある。祈りが果たされれば神様との因縁はいったん終わるが、その祈りがなされない以上は神様は統一教会をつかんでいくことを知っているためである。
祈るとき、自分の祈りの声に恵みを受けることができてこそ、それが恵みの源泉となる。
祈祷はまず、私の心を呼び起こし私の心を通して私自身が祈ることのできる道を整えなければならない。そうしたらその上に父と子と聖霊の神性が、我々の心を通じて関係を結ぶことができるのである。
祈祷には犠牲が介在し精誠が介在するのである。
食口たちのために一日三度ずつ祈ってあげなければならない。特に早朝ごとに祈ってあげなさい。
深い祈祷生活をすれば、心霊が明るくなる。
食口たちを診断するためには祈らなければならない。そのようにして自分が真空にならなければならない。
数多くの宗教人と道人たちが呼ぶ「神様」という声より、私が呼ぶ「神様」という声が一番大きいと感じなければならない。「お父様は私の言うことしか聞きませんよ」と言える祈りをしなければならない。
「耐えて生きています」と祈れば力も与えられる。
一度祈って千年間を待つことのできる、そのように精誠を尽くした民族があったのか。
最高に孤独な場、最高の冒険的な場において捧げる自信満々な勇者の祈りを神様も好まれる。
与えて代価を求める人となるな。数万年後になしてくださることを祈りなさい。人を助けてあげて記憶しておくな。
精誠を尽くしなさい。精誠を尽くす父母は外地に行っている子女の不祥事を知る。
実力は一面を照らすが、精誠は中心であるため全面を照らすことができる。
子女の手を握って夫婦が早朝に起きて涙を流しながら祈らなければならない。それが知られるとき伝統となる。
早朝に起きて祈るとき、心臓の鼓動を聞くことができなければならない。
細密に教えられるためには祈らなければならない。一心でなければならない。
祈りが早く成就されるかどうかということは神の目的と一致しているかどうかにある。
牧会者は説教時間の二倍以上祈りなさい。
祈りというのは率直に報告する生活である。
我々が精誠を尽くしたという立場は天国に行く出発にすぎない立場なのである。
公席において祈ることをはばかる人が先生である。日常生活に精誠を尽くさない人が、それ以上精誠を尽くした人の前で祈るということは恥ずかしいことである。
精誠を尽くしたものは毒薬よりも恐ろしいのである。
歴史に残る人とは素質より精誠を尽くした人が残れるのである。
人は東西南北のタイプがある。祈りもその人その人の恵みとなる時間が各々違う。