義務守則


十一条(十分の一原則)は選ばれた子女たちの基本道理である。神様の数である一数を捧げることによって九数までも捧げたという条件が立てられ、この十の一数は残りの数よりも、もっと貴重に思わねばならない。

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聖日は十一条の日であるので、私の日ではない。ゆえに、神様の命令のまま服従する日なのである。神様のものを私のものとして使おうとするのは罪である。

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十一条はすべての面にある。学校も十教室中に一つの教室はかわいそうな子女たちのために無料奉仕の教室として使わなければならない。

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私の子女のうち、一人を神様の前に捧げなければならないし、そうすることができなければ、他人の子女でも勉強させて神様の前に捧げなければならない。

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教会の十一条生活も食口が十家庭あれば、指導者一人を養わなければならない。そうでなければ天民権をもつことができない。

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十人が生きておれば、神の人一人を扶養しなければならない。

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お金を扱うにおいては人格が先立たなければならないし、言行審査が一致しなければならない。

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公金は種である。蒔けば実を結ばなければならない。結ばなかったらすべて奪われる。

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公金に対して不徹底であれば追放される。見ていなさい。先生は全部知っているが、時を待っている。

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先生の財布から出た公金は、勝手に使ったら困る。

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全体の前に見本とならなければ置いておかない。見ていなさい。民族的な勝利の基準が来れば清算する。今清算したら、民族の生きる道がないために耐えていくのである。

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聖塩は「麹」と同じである。物を買うときに聖別し、外の生活をして家に入ってくるときも門の所で聖別するのが原則である。

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聖別したものはサタン世界に分け与えるな。やむを得ないときは左手で与えなさい。

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聖別した不動産を処分しなければならないときは地域、地区、協会の三段階を通して許可を受けて処分するのが原則である。

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我々食口たちが聖別して入る地で、すべての地を占領していかなければならない。