信仰の三人の子女を立てなければ七年路程は無効になる。
信仰の子女―公的な私をつくるための条件。
信仰の三人の子女を立てて群れに加わる者となりなさい。信仰の三人の子女を立てれば家庭型をなすようになる。
皆さんは先生よりも少ない年齢で信仰の子女をもつことができるというのが、いかに恵みであり感謝であるかをよく知らない。
信仰の子女を生かすためには直系の子女を苦労させなければならないし、民族を生かすためには統一の食口たちを苦労させなければならない。
信仰の三人の子女は三大祭物に該当する条件物である。それゆえに信仰の三子女がなくしては神様の前に復帰されない。
三つの家庭を結婚させてこそ父母の立場に立つ。信仰の三子女を見つけるのが問題である。
信仰の三子女を立てておかなければ、自分の子女を愛することができない。
信仰の子女が直系の子女に腹中から完全に侍るときに蕩減復帰は完全に終わって、サタンは我々の家庭から血統的に完全に切れてしまう。
元来は信仰の子女三人を立てておいて子供をはらみ、腹の中から信仰の子女が完全に侍り得る立場を立てておいてこそ、天国に行ける子供を生むことができる。
アダムの前には侍らなければならない三人の天使長があった。これを復帰するためには、子女を生む前に腹中から侍らなければならない三人の信仰の子女を立てて、絶対に屈服する立場を立てておかなければならない。
信仰の三子女は、@私に代わって死を覚悟し死地に入っていける心情をもたねばならないし、Aアベル的子女に腹の中から成婚するまで侍らなければならない。そうしてこそ、その家庭は完全にサタンの讒訴を離れることができる。
信仰の三人の子女は、縦的には神様の前に、アダム・イエス・再臨主型であり、横的にはカイン・アベル・セツ、セム・ハム・ヤペテ、アブラハム・イサク・ヤコブ型である。
イエス様も信仰の三人の子女を失ったので、試練を受けざるを得なくなったのである。
信仰の子女を愛したことを教材として、自分の子女たちに教育しなければならない。
イエス様が亡くなられるとき、三弟子が一緒に死んだとしたら、神様はイエス様よりも先に三人の弟子を復活させ、その次にイエス様を復活させて、イエス様は昇天しないで地上で霊的四位基台をなして聖霊を地上に迎え、み業をすることによって、地上では悲惨な血を流すことなく早くみ旨をなし得たはずであった。この三人の弟子が信仰の子女である。
神のために涙を流す子女を神は訪ねてこられる。
父子の因縁が天地の根本である。
子女にとっていくら醜い母だとしても自分の母は一人しかいない。
神への最高の賜は堕落した子女を探してきて報告することである。
三子女復帰は、
@霊的には三大天使長を復帰させること、
A父母の立場を決定するための絶対要件、
B子女を完全な勝利の立場に立て得る絶対要件。
統一教会に入って裏切って去った人たちの責任を、あとから入ってきた人たちは再蕩減しなければならない。
信仰の子女に私がもった最高の場を与えることができるか。
子女を三人生んだとしても、育てるときは一人が育てるように育てることができなければ心情的な統一を期することができない。
一人に対しても最高の精誠を尽くさねばならない。