カインはアベルを通さずに、み旨の道を歩むことができない。
アベルになる内的基準は「天を愛すること」、そして「天の仕事を愛すること」、そして「その仕事のために祭物になること」である。それゆえに、私がアベルの立場にいたら他人が避ける嫌がること、難しいことを全部受けて担当しても、良いものは自分にくれてもくれなくてもいい、という態度をもつことができなければならない。
アベルを立てた理由はカインを救うためである。カインを救うためには、神様から受けたその愛を全部与えると同時に自己の愛までも合わせて与えなければならない。
生活する中においてカイン、アベルを分別しなさい。ぶつぶつ言えばカインである。アベルを中心として団結しなければならない。
アベルがカインを屈服できなかったのが失敗である。三年間は子女の名分を立てるときであり、四年はエサウを屈服させるときである。ヤコブがヤボク川で天使と戦って勝利したように肉的勝利の基準を立てなければならない。そうしてアベルを中心とした地を訪ねて、民族を訪ね、父母に侍って第三イスラエルの祝福を受けなければならない。このような戦いにおいて脅かしたり、殴ってはいけない。アベルが殴る法度があるか。
アベルを立てようとしたら、カインを立てざるを得なかった。カインを立てたのはアベルを立ててアベルを育てるためである。
キリスト教人は内的なカイン、民族は外的なカイン。これからカインを屈服させる仕事を始めよう。
ヤコブと同じようにあずきがゆの知恵を学びなさい。飢えて苦労しても彼らを大事にしなさい。ヤコブが二十一年間稼いだ財産を惜しんだならば、打たれて死んだであろう。私が生きれば子女が生き、僕が生き、物質が生きる。
アベルと祭物は神様に捧げなければならないし、その祭物が受け入れられたあとには、それを父母でいらっしゃるアダム、エバに返さなければならない。すなわち、アベルと祭物はアダム、エバの解放のためのものである。
ペテロ(信仰の使徒)=アダムの立場(カイン)
ヤコブ(希望の使徒)=イエスの立場(アベル)
ヨハネ(愛の使徒)=再臨主(セツ)
ペテロはアダムが天地の法度をひっくり返したことを蕩減するために、逆さになって死んだのであり、ヨハネは再臨主の型であるので死んではいけない。
この世はカインの世である。カインが喜んで捧げてこそアベルのものとなる。