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先生は、人々の顔を見れば、その先祖が良いか悪いか、大体分かります。ある人は、良い先祖がいて、福を受けるかと思えば、ある人は、悪い先祖がいて、ひどく苦労ばかりするのです。そのような人は、伝道しに任地に出ても、ひどく苦労ばかりします。(三七\一四四)
自分の性格がこうなら、短いこの面を埋めるためには、このように出てくる証しを聞けというのです。これを聞いて、自分のものとして吸収するのです。補強しなければならないのです。それゆえ、多くの人の体験談を聞け! 聞いて人が言ったそれを批判するなというのです。批判するのはサタン側になるか、天の側になるか、二つのうちの一つを決定するということを意味するのです。何の話か分かりますか?
批判したというときは、サタン側になるか、天の側になるか、二つのうちに一つに分かれてしまうのです。それゆえに、批判するのは、自分が発展するにおいての癌なのです、癌。サタン側になった奴が、神側に行くことができず、神側になった奴が、サタン側に行くことはできないのです。我々人間生活において行くところにには、直行は絶対できません。ジグザグに行くのです。
先祖も善の先祖だけいるのではなく、悪い先祖たちも全部関係しているために、自分自体が素性的に見るとき、善の先祖の素性をたくさん持っているときは、このように行きますが、悪の先祖の素性を受けた部分もあるのです。そのような時が来るのです、自分の人生において。そういうときは、必ずこのようにするようになります。批判したら大変なことになるのです。それゆえ、判断するなという言葉も、皆そのような道理について言う言葉です。(日付未詳)
真の愛を持てば、神様が宴会をするその場にいつでも同参することができます。時間と空間を超越するために、霊界に、数千の先祖たち、数万の人がいても、一目で皆見るのです。これを全部管理して、これを全部超越することができるのは、愛の心、真の愛の心を持った人だけが可能なのです。神様と対等な、神様のすべての相続権を受けうる特権を得ることができる道は、愛の道にだけあるという事実を知るべきなのです。真の愛を持った人が、自分の体をかすめて通り過ぎても、全部喜ぶのであって、反抗しないのです。全部が歓迎するのです。そのようになっているのです。あの世がそのようになっているために、ここでそのような訓練を受けなければならないのです。それが何の話か分かりますか?(はい)。
統一教会が、レバレンド・ムーンがこのようなことを教えてくれるのは何か? 天の世界に行くことができるその人、天の世界で呼吸することができ、そこに拍子を合わせることができる人を作るためのものだということを皆さんは知るべきです。それでこそ踊りを踊る場で踊りを踊るでしょう。そうでなくては、拍子が合わないのです。先生も今霊界に行くべきではないですか、霊界? 先生の後ろには、サタンがついて来れないのです。(一四七\一一六)
神様からの真なる精神を通じて、一つにならなければなりません。人間が根本から生まれたために、生まれるようになった根本主体から動機になって、過程的人間の肉体まで動かすことができる基準をつなげてきてこそ、完全な統合になります。そうでなくては、不完全な統合だという結論が出てきます。
統一教会の信徒たちは、自分たちが勝手に行こうとしても、霊界からブレーキをかけて教えてくれる、このような霊的体験を通じて、すべてを収拾していく背景が確実な現実生活圏内に動いているのです。この事実は驚くべきことです。それで、統一教会員一人を中心として見るとき、その体は精神を中心として、先祖たちが全部根になっているのです。善の先祖たちが全部ぶらさがっているのです。善の先祖たちは、こいつの体が悪の世界に行くのを妨害して、善の世界に行くことができるように追い込むのです。(一六二\一〇四)
この地においての、すべてを管轄することができる真なる父母と、真なる家庭と、真なる社会と真なる国家と、真なる世界になっていたら、この世の中がどれほどすばらしいでしょうか。そのような世の中になれなかったのです。
世の中がなぜこのようになったのか? これがいわゆる、堕落したためにそうなのです。分かりますか?(はい)。我々の原理のみ言どおり、大体見れば真になれなかった動機を持って出発し、今まで存在しているこの世界が、堕落した世の中であるために、そのようになったのです。
では、「そのように、そのように生きてやめればいいではないか、真は何の真?」そう言えます。そうすれば簡単なのです。「それがそうなら、私は目標、そんなものを立てなければいいじゃない? それはただそのように出てきたから、そのようにするのだと思って…。一生の間どれほど生きる? 約七、八〇年、それなりに生きればそれは皆人生が終わるのに、何、そうすることがあるか?」このように考えればいちばん簡単なのです。いちばん簡単です。際立ってそうするのは、何があるかというのです。
人がこの一生だけで終わるなら、どれほど簡単でしょう。この一生だけで終わってそれだけなら、今日の統一教会の先生もすでに風呂敷を持って全部…。人は永生するようになっています。永生するようになっているというのです。ですが、良いことは良いのですが、大変なことになりました。人は永生するようになっています。では永生はどのように? 皆さんが霊界に対する体験がないために、知らないからそうなのであって、霊界の体験がある人たちは、昔のアダムから何千年前までの先祖たちに皆会うことができるというのです。
さあ、おばあさん! おばあさん、長く生きたいですか?(何を長く生きますか?)ああ、長く生きたいですか、早く死にたいですか?(早く死にたいですね)。早く死にたいですか?(はい)。では、刀で叩き降ろせば「ああ、ありがとうございます」そう言うでしょうね?(笑い)(そのように死ぬことができますか)。早く死ぬには、そのようにすればいいのではないですか?(寿命どおりに生きて死ななければ、そうして…)。何、おばあさん、市場に行って、どこからか自動車が「プップー」と言えば、パッと走り出すはずなのに。(笑い)(それこそ…)。我々の本能的な知覚が、保護知覚がすでにそのようになっているために、そのときは自分が思わなくても、動くようになっているのです。
さあ、心が、心が老けますか、老けませんか? あそこの、おじさん! 老けますか、老けませんか?(心は老けません)。体は?(体は老けますが、心は老けません)。その体が老けるから、運が悪いのであって、それ!(笑い)ああ、心は老けないのに、体がぺちゃんこになって、また年があるとそれで…。同じ年ごろ者として取り扱わないようになっているのです、それは。そうでしょう? それはどれほど寂しいですか!(一五九\二七七)
あの霊界に行くようになればですね、数多くの先知先烈たちと、数多くの先祖たちと会って、討論するのです。「あなたはどこから来たか? 地球星のどこか? どの国か? どこだ?」と聞いて回想して言うのです。「そこで何をして暮らしたか?」このようなことを言わないでしょうか? 友達どうし会うようになれば、自分のすべての昔の話をするでしょう?
霊界に行くようになれば、皆さんの最初のおじいさん、数千数万の先祖たちに会うようになります。ところで、その先祖たちが「おまえはどこから来た、こいつ?」と言うとき「なぜ、こいつとおっしゃいますか。」と言いますか? 何代も前のおじいさんなのに、こいつと言ってもいいでしょう。「こやつ、どうやって暮らした?」とぞんざいな言葉を言うとき、気分がいいですか。 考えてみなさい。
既成教会でイエス様に一度会いたいと、「主よ! 主よ!」と、どれほど割れるほどうつ伏して祈り、皆そうしたとしても、イエス様が現れて「こいつ、ここになぜ来た?」と会うたびに、その言葉を言ってみなさい。気分がいいですか?(笑い)(一四八\三二一)