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我々統一教会は、三時代の使命を完結しなければなりません。霊界に行っている霊人たちを解放し、今日この罪悪の世の中に生きている人たちを解放し、これから来る後代の人たちも、ここから解放しようというのです。このように三時代の解放圏を持って出てくるのです。
これは膨大でとてつもないことです。このような夢のような内容が、事実として現れればどうなるか? 目がまん丸くなり、口は限りなく開き、耳はぴんととがるでしょうが、頭は下がるようになるのであって、仕方がなくなるのです。(二八\二〇一)
さあ、では統一教会は何をする団体か? 平和を作るための団体であり、和解をつけるための団体です。ところで誰と和解をつけるか? イエスと聖霊が今まで何をするかというと、このことをしています。出産の使命を果たすのです。イエスと聖霊が、今まで果たしてきた使命が何かというとですね、イエスと聖霊が果たすべき使命は、息子娘を出産することです。
聖書に見れば「出産することで救われる」と言いました。女たちは出産すれば救いを受けると言ったのに、既成教会員たちは「ああ、女は赤ん坊を産んではいけないのだ」と言います。そうであるなら、神様が女に赤ん坊を産む器官をなぜ創ったでしょうか? そうではありません。それは女を代表したエバ、エバに代わって再び出産しなければいけないということを象徴的に言ったのです。
それゆえ、そのエバの霊、体を身にまとうことができなかったその本然の母の性稟、エバの中でなされるべきだった性稟を結実すべき本性的主体、そのような存在性を持ったエバが、相対的基準にならないことによって、そこでそれを神様が再び収めたのです。そうして、それを再びイエス時代に主体の前に対象として送ったのです。それで、それは体がないのです。イエスは体がありますが、聖霊は体がないのです。それで、聖霊を火のような聖霊、油のような聖霊、風のような聖霊と言うのです。
ですが、母的使命を果たせば、我々人間の心に入ってきて、感動を与えて罪を洗う役事をするようになれば、きれいになるのです。それは、母が妊娠をして、赤ん坊を育てるのと同じです。そのようにするには、父の保護を受けなければならないように、イエスの保護を受けて、再び生まれたという条件になってこそ、重生になるのです。生まれ変わるという言葉が成立するのです。
さあ、では、イエスと聖霊が、今まで休んだことがありますか? 休んでみましたか? 休んでみられなかったのです。また、キリスト教が休んでみましたか? 休めませんでした。そしてまた、神様は今まで六千年間、堕落した人間を救うにおいて、休んでみたことがありますか? ありません。休んでみられなかったのです。皆休めませんでした。では、統一教会は休んでみましたか? 統一教会の文先生という人は、休んでみましたか? 今、年が五〇を越えても驚いた鹿のように跳んで回る場面なのです。
それは何をしようとしてそうなのか? 和解をつけ、神様を休ませ、イエスと聖霊を休ませ、我々の先祖たちを全部楽にしてあげようとしてそうするのです。神様も先祖でしょう? キリスト教で言えば、生まれて死んだ先知先烈たちが全部先祖なのです。宗教で言えば、昔から生まれて死んだすべての宗教指導者たちも、全部先祖なのです。そのような先祖たちを解放してあげなければなりません。先祖の恨みを解怨成就してあげなければなりません。このような問題があります。(七五\三八)
私が、寝ていて目を開ければ、もう便所に行きながらもそのように思うのです。寝ても覚めても二四時間、その考えをするのです。どこに行っても、誰に会っても…。何の話か分かりますか? それゆえ、皆さんに借りを作る男ではありません。借りを作る男ではないのです。どれほど劣っていたら、責任者が借りを作るかというのです。
私が今、五八で六〇に近づいてくる人ですが、若い人に負けてはいけない、そのように思うのです。この頃も、船に乗って毎日のように出かけるのです。アメリカにおいて、これから経済圏というものは、海に関心を持つ人が無限な経済圏を持つようになるということを、私が知っているためにそういうことをしているのです。
海で死んだ霊界の霊人たちを解怨してあげるために、私がそのことをしているのです。あるときは、台風が吹くという警報を聞いても、船に乗って出るのです。それはなぜか? なぜするのですか? そのようにして死んだ霊たちが、多くのことを知っているためにそうするのです。私が一九七五年にケープ・コード(Cape Cod)に行って何をしたかというと、霊人たちを解怨させてやったのです。解放運動をしたのです。それは世の中で誰も知らないのです。船の船長も知らないのです。うちの娘とお母さんと、今そのことをしているのです。
では、なぜそのようなことをするのかというのです。反対されるのに、なぜそのようなことをするかというのです。それは、霊界の解怨のためにするのです。それが何の話か分かるでしょう?(九三\九六)