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2)お父様と我々

皆さんが霊界に行ったとき、壁のない自由天地の主人の息子娘になることができる資格を作ってあげるというのですが、それがどれほどありがたいですか。先生の言葉を聞いて、このように暮らせばです。霊界は境界線がないために、霊界の領域は、終わりがありませんが、どこに行っても全部「私がおまえたちに協助した。そこの責任者がおまえだったとき、おまえの時代に行って協助した」と言うのです。皆友達です。一時代圏内に立っている同僚者になるのです。(一六二\一一四)

どうせ霊界に行けば、そのようなことがあります。嫌でも良くても、そのようなことが皆さん先生の間にあるのです。そうではないですか? 皆さんがああだこうだ言って、何かの条件に引っかかって、先生が行くことができる限界線を清算できなくては、行けない道がいくらでもあるのです。

ソドムとゴモラを審判するとき、アブラハムが甥のロトの妻に後ろを振り向くなと言ったのに、後ろを振り向いて木っ端微塵になったでしょう。塩の柱にならなかったですか? そのような一時は、誰にでもあるのです。(一二二\一九)

先生がたった一つ心配することは何か? 皆さんの中で、私が死んだ後にも神様を愛する愛の心を中心として、統一教会の食口たちを愛する人にどれほどなり、それほどまでも神様を愛そうとしたその愛を尽くせないで行く先生の死について、その心情にすすり泣くことができる人に、どれほどなるかということです。

皆さんが全部そうできるなら、先生が死んだとき、皆さんが死んでから行く所に上がる神様に対する愛の情熱が、歴史の起源をひっくり返し、歴史の時代的な潮流を差し置いて、悪なる環境で堂々と伸びていくことができるならば、私がいくら死んでから行く所に一握りの土になるとしても、喜んで神様に讃美し、千年万年神様に栄光と祈りを捧げるでしょう。(二二\一〇八)

霊界に行って、先生を見て「先生、私が青坡洞教会のときから先生にお目にかかりませんでしたか?」と言っても、そのときは、先生は原理の眼鏡をかけて見るでしょう。分かりますか? 先生が歩んできた路程としての眼鏡をかけて見るでしょう。それで、そこに合えば受け入れるだろうし、合わなければ受け入れないでしょう。(二一\二〇三)

先生は、今有名なのです。先生がなした業績が多く、すべての栄光の基盤の上に立っていますが、これを全部愛で因縁となった皆さんに、相続してあげて行こうと思います。私のものを皆さんのものとして相続してあげようと思うのです。自分と似た、真の愛を持って人類を愛し、父母を愛し、天を愛したその基盤を受け継いだ人に、全部相続してあげようと思うのです。百パーセント相続です。

さあ、では、彼らが今霊界に入るようになれば、いっぺんに誰を探すか? 真の父母を探すでしょう。では、そのときには、私が霊界で持ったすべての所有権を地上と同じように、相続してあげるでしょう。それがどれほど驚くべき事実ですか? 真の愛において、神様からこのすべてを受け継いだのと同様に、父母様が真の愛を持って、皆さんにこれを引き継ごうとする、驚くべき事実を知らなければならないのです。同じです。先生も、真の愛の立場を中心として、すべてを所有して霊界までも相続されましたが、先生は、真の愛を中心とした子女たちに、すべてを相続してあげようとするのです。分かりますか?(はい)。霊界までもその栄光の立場を百パーセント相続してあげようとするのです。結局、皆さんは、一度にこの世界を通過しなければなりませんが、皆さんは、そのために準備しなければならないのです。(一四七\四八)