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君たち、今四〇を越えて五〇になっていく人が多いけれど、一〇年、二〇年以内に死ぬと考えるとき、死を前にしたとき、み旨を知ってきた過程を振り返り、それまで何をしたかと聞くようになれば、何と答えますか?
悪魔の後孫として残った五〇億の人類を復帰するため、責任を果たせないことによって、神様がまだ落ち着けず、僕のように恨めしい神様の仮面を脱げないのを見るとき、霊界に入ってどのように顔を上げるでしょうか? どのようにそこに行って、自分の姿勢を備えて回ることができ、どのように暮らしていくべきでしょうか? ただ行って、とどまっていなければならないでしょう。白日の下に百パーセントどん底があらわになるのです。
霊界に行かないことができる人、手を挙げてみなさい。いませんか? 皆行くべきでしょう? 何を持って行きますか? 何を持って行くでしょうか? 乙女が嫁に行くためには、婚礼家具というのがあるでしょう? 平安道の言葉では、シラリと言います、シラリ。嫁に行くとき持っていく品物がシラリです。そのシラリという言葉は、初めて聞くでしょう?(はい)。
ここでは、婚礼家具と言うでしょう? 貧しい家の娘が、金持ちの長男に嫁に行くときですね、自分自身だけ見ても一族の前に頭を上げることができないのに、婚礼家具も備えられずに行って、その世話すべき人が元気でいる中、四代の組が集まって暮らす婚家に入って暮らすことができますか? その兄弟一族だけでも、百名に近い、そんな群の前に行くのに、手ぶらで行って、その嘲弄をどうやって避けますか?「うちの伝統によれば、誰々はこうであり、誰々はこうであり、おばあさん、おばさんは全部こうであり、うちの姉さんもこのようにこうこうして、皆そうなのに…」と言うようになるとき、そこで落第空くじのような身の上になって、顔を上げて座ってご飯を食べることができますか? さじを持つことができますか? 箸を持つことができますか? 考えてみなさい。
軸に入り込めなければ、あきれるのです、軸に入り込めなければ。皆さんは、何を持っていきますか?「私は統一教会を四〇年信じてきました!」と言うとき、「何を持ってきたか?」と言えば、何と言いますか?「何を食べて生きたか? どこで食べたか?」と言うようになるとき、「統一教会でご飯はもらって食べて生きました」と言えば、「何をしながら? 仕事も勝手にして…。おまえが父母と思って侍った方は、こうして、こうして生きたのに、おまえはそのように生きたか? それが孝行者か、不孝者か?」と聞かないでしょうか? 自分自身が聞いてみても、そのような答を自らするように皆なっています。そこに耐えることができる自分の姿勢、自分の権威が何かというのです。
先生は、世界から悪口を言われ、迫害を受けて、世界最悪の拷問の場を経ながら、獄中を訪ねて回るのを、ご飯を食べるようにしました。先生は、そのような環境にいるのに、自分は見物人ですか? 男は勉強ができなくて、国民学校に通えなかったのに、妻をめとって、妻の家に対するその花嫁が大学を出たというとき、どうして相通ずるでしょうか?
皆さんの行く霊界がここよりひどい所でしょうか、ましな所でしょうか? 皆さんが死ぬようになったとき、行く所がここよりひどい所でしょうか、ここよりましな所でしょうか? 千千万倍ましな所です。戒律的なすべてを、一目瞭然に皆自分が測定できる世界です。
自分がどんな立場にいるかという、悲痛さを実感することができる所です。あの世界を行くためには、何千年、何万年もかかるのです。ここからあそこまで、一段階上がるには、何年かかかり、限りがありません。聞いてみなさい。
先生は、最上の高い位置、天の宝座に生きますが、皆さんは、皆ついてくることができないのです。祝福という貴いものを受けたために、門は開いていますが、行こうとしても行くことができる礼服を着られませんでした。祝宴を行う家に行くのに、礼服を着て行くべきではないですか? 新郎の付き添いに行くのに、村の農夫のズボンをはいて行っていいですか? 考えてみなさい。そこに合う装いをして、その場に行ってこそ、その環境の歓迎を受けるのに不足ないのであって、それが反対になれば、追放されるのです。「こいつ、どけ!」と言うのです。友達がどこにいますか?
昔、木浦に金持ちがいましたが、木浦の北部地方の土地が、全部その人のものだと言うほどの金持ちでした。木浦でいちばん金持ちでした。ところで、自分の友達がその人の一人娘と結婚して、その家の婿になりました。そのときは、日本の統治下のときだったために、結婚式をしても今のようにモーニングコートを着て、礼服を着て新式の西洋式の結婚をすることはできないのです。国防服を着て、ボタンをかけておいて、胸に花を一つ差して結婚するときだったのです。
ところで、その人は、金持ちである上に、道の警察局(日本の県警にあたる)から、全部友達だというので、新式の結婚式をさせるのです。そこに私が付き添いに行きました。付き添いが何人行ったかというと、四人が行きました。新婦の付き添いも四人であり、そうして行ったのに、付き添いの服を全部自分の婿の背に合わせれば、皆合うと思ってサイズをそこに合わせて準備しておいたのです。私の服のサイズもそうです。婿の背が私ぐらいです。ですが、私のように体が太っていないのです。ぺちゃんこで板のようです。この前後ろが薄いのです。我々は、この前後ろがもっと厚いのです。力士型でしょう。
ですから、買ってきたワイシャツが、ボタンをかければ、ヘソが見えるのです、ヘソが。(笑い)ああ、その服を着るから、服が小さいから、このように広がるというのです。ワイシャツはこのように出て。その似合わないことと言ったらどれほど地獄だったか、今も忘れられません。ヒャー!(笑い)それも、私が天のみ旨の復帰路程において、霊界に行ってその軸に入り込むことができなければならないなという、一つの大きな教示と思っています。
全羅南道の何かするという名前のある人は、皆が集まったその大衆の前で、何千名が集まったその場面で、付き添いがそうして立っているから、これが…。それを考えたら、ああ…! どこかにネズミの穴でもあれば入るのが容易いのであって、そこに座ってこらえられなかったというのです。
それを何時間もそうしてから、背筋にひどく力を入れて服を小さく着たからですね、後でしびれたのです。そうして、そこで大声が出せますか? 壁のある所に行って、体をこのようにうつ伏せにして、しびれたのを解いたのを思い出します。何、こんな話を初めて聞く人もいるでしょう? しびれを解くという話は、初めて聞くでしょう?
軸に入れないのが、そのようにあきれたことです。私が霊界をよく知って、聖者たちだ何とかいう、ましだという教祖たちを、皆知っているのに、おまえたちに負けることができないというのです。その軸から抜けてはいけないのです。皆さんが私に恥ずかしい立場にいるべきでしょう。それでこそ、真の父母になるのではないですか? 違いますか? それは道理に合う言葉なのです。もらって食べて回れば、乞食の子であって仕方ないでしょう?(二一二\二二四)