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1)人間の心門
釈迦牟尼のような旦那も、神秘的な境地に入って、このようなことを言いました。我々人間が修道しながら精神を統一して、霊妙な霊的世界に入って体験する中で、完全に神様の主体の前に対象の位置にぴったりと入るために、天上天下唯我独尊という言葉が可能なのです。自分が世の中を一度ぎゅっとつかめば、世の中がサッとこの握り拳の中で溶ける、そのような気持ちがするのです。これを持つようになれば、取りつかれた気分になって、打つようになればいっぺんに溶ける気分、このような境地が繰り広げられるのです。そのような境地に入るようになれば、奇跡は自動的です。病気を治すそのようなことは、自然に信仰生活の付属物としてついて回るのです。
それゆえ、皆さんが心門に合わせて、心田を啓発しなければならないのです。この心の畑を啓発して、方向基準を開拓するためには、必ず主体であられる神様を発見すべきです。ところで、主体であられる神様は保護するから、神様につながるにはどのようにすべきか? 精神を集中させて、自分の心から出発する道以外にはないのです。自分の心から、心を明らかにしておけば、必ず方向を知るようになるのです。そうではないですか? 磁石のようにです。プラスがあればマイナスが自然に…。誰かが行けと言って行きますか? 自然についていくのです。そんな何かがあるのです。皆さんもそれを感じるでしょう。自分が東に向かって祈祷をしたのに、神秘の境地に入れば、すでに方向が変わるのです。そのような事実が繰り広げられるのです。分かりますか? それゆえ、心の門があるのです。
祈祷がよくできるときがあるでしょう? それは皆分かるでしょう。祈祷がよくできるときがあるのです。自分がいくら斎戒沐浴をして精誠を捧げても、「ああ…。」祈祷ができないときがあります。部屋によって違ったりもします。部屋の位置によって違うというのです。それはそうするしかないのです。一つの中心の前において、中心を中心として東西南北があるために、その位置によって違うのです。また、方向によって違うのです。山に行っても、祈祷がよくできる所があります。また、サタンが集まっている所があります。それは陰地です。陰地と陽地というのが、霊的にそのようになっているのです。何回か体験すれば、そのようなことが皆分かります。
そのようなすべての暗示や夢のお告げや、啓示や黙示が繰り広げられるのは、人間と天との関係を結ぶために、開拓的で発展的な現象として現れる不可避の与件であるために、これをおろそかにせず、皆さんの生活に適用することができるよう努力しなければなりません。
それくらい皆さん自体において、信仰世界の心の門を開いて、心の畑を啓発することを、今までしてきているのです。それが啓発される場合には、それで終わるのではなく、それを相対的な世界に適用させることができなければならないのです。(七六\一四三)