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5.天国と地獄に関係した指示のみ言

A.天国と地獄観設定

確立ではなく設定です。設定は、設置して定めるのです。実績を言うのです。

自分の家庭を中心に、氏族圏を復帰したことは、メシアの使命です。実体を言うのです。確立ではないでしょう、設定でしょう、設定。その意味は分かりますか? このような氏族的メシアの使命を果たすことによって、天国と地獄観を設定し、「そこに行けば天国、ここに行けば地獄」ということを明らかにして、それを分別することができる結果を満足させ、下に行くなというのです。全部見て行かないようにです。それで、氏族がそのようになった場合に、その周辺の多くの氏族、部落も皆追いかけてこざるをえないのです。

B.永生と地上生活の重要性

地上生活と永生生活が別々ではありません。地上生活も重要であり、永生生活も重要です。永遠の生活は、地上生活からつながるという、そのことなのです。二つとも重要ですが、今日この地に生きる人たちは、永生の概念が分かりません。この地の生活が重要だと思っているのです。問題がこれなのです。我々統一教会の信徒も、今生きているのが永生を保障する基盤である、ということが分からない人たちがたくさんいます。

それゆえ、永生が今からだ、天国観を持って、天国基盤を設定したその上に、永遠の生命のために、自分が生きるという、その重要性をいつでも感じろというのです。これを知らなくては、他のことをするのです。今自分がするすべてのことが、永生世界の価値決定を左右しているということです。

それは、互いに見つめ合って動くのです。上がれば上がり、下がれば下がるのです。回れば回ります。それで、生活する現世において、それを実感して永生にプラスさせる生活をしなさい。永生と現世が分かれないのです。天国と地獄を明らかにしなければ、それが分からないのです。そんなふうに永生と地上生活の重要性を感じながら、働けというのです。それは、誰も面倒を見てくれることができる人がいません。誰よりも自分自身が、神様をよく知っているでしょう。自分がよく知っているのです。そのようになれば、皆さんが進んでいくときは、天運が抱擁し、その部落からいなくなった場合には、「その人がどこに行ったか? 何日間見なかったけれど、どのようになったのか? 朝晩に聞いたその声が懐かしい!」と言いながら、どこに行ったか探したがるでしょう。そのようにならざるをえません。天が、天運が共にしているために、良心を持った人は、自動的にその方向に、鉄分が磁石の方向を向くように、すべての生命を持っているものは、光の方向にその生命の触覚を向けるのと同じで、合わさるのです。同じ道理です。

先生がいなければ大変でしょう? 日本人も、韓国人も、このアメリカ人もそうなのです。なぜそうか? このような永生の観念において、一致化させようとする秩序があり、それによってすべての地上的な標準、永遠の標準にすることができます。それは、最も重要なことなのです。分かりますか?(二一七\八四)