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あの世の広大な大宇宙を眺めるとき、ダイアモンドの星がないでしょうか? 宝石の星がないでしょうか? それが全部自分の所有だというのです。その楽しみで暮らすのです。神様が創られた驚くべきものを自分が見て…。愛するすべての群が、神様の愛する群が、全体が合わさって大移動をしながら暮らすことができる理想世界なのです。そこに同伴者になり、同参者になりたいですか?(はい)。
同役の者として、犠牲を自任して立ち上がることができる人になるなら、堂々とした責任者になるかもしれませんが、適当にする人たちは、あの世で脱落者であるしかありません。この善以下にいる人は、何億万年について試験をするでしょう。祝福された家庭も、この法度には例外がないということを確実に知るべきなのです。
さあ、今は先生についていきたいでしょう?(はい)。先生はそこに向かって行くのです。私が皆さんがいる所に行ってストップすべきでしょうか? 皆さんを捨ててでも、私は行くべきでしょう。そうでしょう?(はい)。皆さんが行くべき道をはっきり教えてあげているのです。皆教えてあげているのです。死んでみなさい、そうなのか、そうでないのか。今までは、霊界を知らず、宗教がどのようになったか知らず、心がなぜこのようにせきたてられ、なぜこのように迫害されながらも、行かなければいけない運命の道にいるのか知らなかったというのです。こうすることができるすべての原因と内容を、初めて統一教会の時代に来て、レバレンド・ムーン一人が立ててきたのです。
霊界と肉界、人間の錯綜した思想界のすべての複雑なものを、全部打開しておいて、このように単調で簡単な一つの方向が設定されて、はっきりとした一つの価値観を自分が眺めていくことができるようになったという、驚くべき事実を知るべきです。その段階、段階ごとに、自分が分立されません。段階が発展すれば、発展したほど力が共にあるのです。愛の原動力が、自分の生活圏に反応するのです。それで、愛から生まれ、愛されて、愛して愛の世界を行くのです。神様に帰るのです。結果は、原因に帰るべきでしょう?(はい)。ですから、神様のような考え方を持たなくていけないというのです。(一二六\一四五)