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我々が暮らしている社会、国家、世界は、自分の意志に符合する環境になっていないので、ここにはすべての苦衷が生じるのであり、善悪の分岐点が重なり合うようになることを、我々は知っています。自分が進んでいこうとするその方向によって、誰も自分に代わって行ってあげることができる人はいないのです。百人なら百人、全部が各々自分なりの一日の生活を営むために、環境と闘争しなければならず、その環境を押していかなければなりません。それゆえ、朝に計画した一日の仕事を、誰も自信を持つことができないということを、我々は一日の生活の中でよく感じるようになります。
そのうえに、その環境が、自身の一日の生活を妨げていることを感じれば感じるほど、また、その環境の範囲が社会とか世界のように、大きければ大きいほど、自身の一日の生活を勝利として結果づけるためには、それに比例して、その大きな基準を越えることができる決意と推進力を持たなければなりません。そうでなくては、その日が勝利の日になることができないということを、我々は日常生活でよく感じることができます。そのような一日一日が加わって、一月になるのであり、一月一月が加わって一年になります。
その一月を中心として見るときに、一月は一日を三〇回足せばひと月になるでしょう? その一月も、我々が計画したとおり暮らすことができる環境になっていません。ここから我々が、一月の勝利をもたらすためには、その一月の環境に備わった複雑なすべての事情、計画した行くべき道を妨げているすべての与件を打破することができる推進力と決意がなければなりません。それがなくては、一月の計画を勝利として終えることができないのです。
また、一年を中心として見るときに、一年は一二か月、三六五日からなっています。このような一年の勝利を誓うためには、ある目標をその年の元旦に定めた人がいるというとき、その一年間のすべての試練とその他の事情をかき分けていくことができる与件が、自分と一致しなければ、そこに反発的であり、排斥的であり、破滅的な環境が現れるようになります。
このような一年を押し進めるためには、三六〇日以上を克服することができる闘志力、あるいは推進力を備えなければなりません。そうでなくては、一年を勝利で飾ることができないということを、我々はよく知っています。このような一年に一〇年が加わって、二〇年、あるいは三〇年が加わった日々を過ごしているのが、我々の人生の道です。これを皆さんが知るべきです。(三一\三〇)
今日、この地に暮らしている人間たちは、時間性をはずれられません。人類歴史について見ても同様です。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界もそのような時間圏内で動いていっているのです。
人が生きていく所には、必ず達成すべき目的があります。その目的を中心として、一〇年、二〇年、三〇年、七〇年、一生の間行くべきなのです。目的が大きければ大きいほど、内的にもっと強く誓わなければなりません。そうでなくては、その目的に到達することができません。時間という過程を通じて、その目的を凌駕しうる内的な決意を続けない限り、その目的を達成することができないのです。(三一\一四九)