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アダム・エバというそれ自体は誰かというと…。アダム・エバ自体を神様が創ったなら、どのように創ったか? 土でこねて創ったなら、どのような土で創ったか? どこで出発したか? どこから始まったかというのです。また、アダム・エバを成人になった人として創ったと考えられないのです。
赤ん坊から創ったのです。神様が、赤ん坊をはらんだ母が、抱いて育てるのと同様な、そのような過程を経て創ったという論理を立てなくては、このすべての三段階の秩序を通じた存在の形成というものは、説明する道理がないのです。それで、幼児期があったというのです。その次に、成人期があったのです。これは天理の道理です。その次に完成期があったというのです。
では、幼児期はどのような幼児期だったか? 無形の神様が、無形の世界から有形の過程を経てくることができる、赤ん坊の存在を抱いて育てたという論理から始めなければならないのです。それが何か? 赤ん坊たちが生まれて、育って、成熟して、結婚することができる立場まで、父母になりうる立場まで、どのように進んでいくか?
神様が、今まで存在に対する歴史的な長い過程を、系列的にというか、段階的というか? 級的に青年期、壮年期、老年期のようなこのような過程を経てきたその事実は、人間を通じて、再びご本人が育ったその歴史的な無形の過程を実体で見るための存在が子女というものです。このような論理が形成されてこそ、父子一身という論理が出てくるのです。一つは縦的であり、一つは横的なので、縦横一身の理論を取ることができるのです。(二二五\一九八)