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ク 統一教会の主流思想と真の愛の道
統一教会は、何のみ旨を持って進んでいるのかというと、神様を中心とする世界的思想を持って進んでいるのです。ある一民族的思想ではありません。大韓民国を中心とした思想ではないのです。天と地を中心とする、とてつもない大きなみ旨を中心とした思想を持って進んでいるのです。このような、み旨を中心とした思想が主流なのです。
真の愛を中心として、父母を愛することができれば兄弟も愛することができるのです。また、兄弟を愛することができれば、父母も愛することができるのです。そして父母は、兄弟を愛する者をより愛するようになるというのです。ですから父母を愛することができ、その次に兄弟を愛することができ、その次に親戚を愛することができなければなりません。皆さんは叔父、従兄弟、再従兄弟がいるでしょう。そのような親戚と争うことなく一つとなって、互いに愛し合わなければなりません。
その次には、自分の隣近所の人たちを愛さなければなりません。それがもっと大きくなると、その次は社会が問題となり、その次は国が問題となり、その次は世界が問題になるのです。そのような範囲をだんだん広げていくと、それが広がれば広がるほど、愛がだんだん薄くなり、愛がなくなってしまうというのですが、それではだめです。愛は広げていけばいくほど、より強くならなければなりません。分かりますか、何のことか? いけばいくほど強くなる愛を探し求めていく道が、神様に出会い、神様に通じる愛の道なのです。
今までは愛というと、遠くの人はあまり関係がなく、近くのお父さんお母さん、兄弟姉妹に集約されていたのです。私の夫であるとか、私の妻であるとか、すべて私を中心とした家庭という基地で実を結んでいたのです。そこにぐるぐると巻きついていたのです。それが、今までの堕落した世の中における家庭だったのです。
ですから、統一教会が他と違うところは、この一点なのです。統一教会の教えは何かというと、お父さんお母さんを愛するように、兄弟姉妹を愛し、兄弟姉妹を愛するように氏族を愛し、さらに民族を愛し、国家を愛しなさいということです。父母を捨ててでも、国家を愛そうというのです。ですから世界を愛するためには、自分の国も捨てなければならないのです。また天を愛するためには、世界までも捨てなければならないのです。より遠く、より大きいもののために、小さい近くのものから犠牲にする愛の道を訪ねていこうというのが、統一教会の主流思想なのです。
ところで、その思想はどこからきたのかというと、それは文先生の思想ではありません。アメリカでいうところのレバレンド・ムーンの思想ではないのです。その思想は本来、神様の思想なのです。その神様はどのようなお方かというと、自分よりも相対を愛するお方なのです。自分よりも相対を愛して、二人が一つになって、より大きな範囲の相対を愛する運動が、神様の運動なのです。
神様の思想は、このような内容が本質的になっているので、神様は最も近い人を悪なる世に送り、世界人類のために犠牲にさせるのです。これが神様の思想なのです。
それゆえ、歴史的な聖人、賢哲たちは皆、この世界で「人類を愛そう」というタイトルを掲げてきたのです。そのような人々は、自分の家庭よりも、国家や世界を愛してきたのです。国家を超えて、世界を愛してきたのです。そして、そこで歓迎されたのではなく、むしろ排斥されて犠牲になってきたのです。
ですから、そのような時代がだんだん近づいてくるにしたがって、今まで犠牲になってきた人々や、その思想を仰ぐ人々を高く奉るようになるのです。そのような人々が、イエス・キリストのような宗教の教祖たちなのです。イエス様や、釈迦牟尼や、孔子のような人々なのです。
では、そのような人々の思想は何かというと、それは、自分の家庭だけのためのものではありません。この宇宙が一つの家庭になるためのものであり、宇宙家庭を成すためのものです。そこでは、それより低い立場にある国家も、民族も、氏族も、家庭も、個人も犠牲にしなければならないのです。そこが違うのです。 (一九七八・一〇・八)