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三 先生の生活標語と修養目標

1 生活標語

先生の三大標語

イ)天宙主管を願う前に自己主管を完成せよ。

ロ)尋ねてから行え。

ハ)命令によって行動せよ。(二七\二九八)

2 修養の三大目標

公的な権威を持つために

イ)信仰をくださいませ。(み旨のためならばどんなことでもできる信仰を)

ロ)愛をくださいませ。(神様がまだ愛してみることのできなかった愛を)

ハ)知恵をくださいませ。(二七\二九八)

先生は今まで修養途中に三大目標を決めてきました、三大目標。昔、このみ旨を立てて現れたときに、三大目標を決めたのです。最初は何か? 天宙主管を願う前に自己主管を完成せよ! これが最も難しいのです。いつでも苦痛の道、十字架の道を行くときはこいつの「私」というものは、逃げようとするのです。そのときは「こいつ!」と言いながらコントロールするのです。

また、こいつの目は良いものを見ようとし、悪いところに行こうとします。そのようなときは「こいつ!」と言うのです。そしてこの口、こいつの口は全部良いものを食べようとします。そのときは「だめだ!」というのです。聞くのも全部良いものを聞いて自分を優先するのです。だめだというのです。また男として生まれて女性を考えて、愛の問題を考えます。そうすれば、「だめだ、この悪い奴め!」というのです。愛の問題に対して考えれば「私が自己を主管してコントロールできなければ、天宙主管が皆壊れて出ていってしまう。」と、このようにしてきたのです。

いちばん難しいことは何か? 睡眠の問題です。睡眠の問題がいちばん難しいのです。その次には、腹が空くことです。その次が情欲問題です。これが三大怨讐です、三大怨讐。そのために徹夜しながらも、それを修養の過程として立ててきたのです。腹を空かせながらも修養の過程として立ててきたのです。一人で生きながらも修養の過程として立ててきたのです。皆さんが先生を考えるときは、先生は聖人であるから、全部異なると言うでしょうが、先生は鋭敏なので、そのような問題にもっと敏感だということを知らなければなりません。もっと大変だったという事実を知らなければなりません。

自分を主管する前には天宙主管はできません。自分を主管してこそ、天宙主管をすることができます。自分を主管してこそ、神様を見ることができ、神様の主管圏を見ることが、願うことができるのが原理観です。アダムが自己を主管することができなかったので堕落したのです。

こいつの手がどこに行くのか? こいつの足がどこに行くのか? 思考がどこに行くのか? 考え、見て、聞くことが、神様が見聞きし、感じることのできる体を持って、摂理を代行するようになってこそ、良心の呵責を受けない人ではないのか? それでこそ原理観において合格した人ではないのか? このように見るのです。皆さんも同じです。これを主管できなけれ、ば皆先生が行くところに行くことができないのです。神様の息子、娘になれないのです。

天宙主管を願う前に自己主管をすることがどんなに恐ろしいか、という事実を知らなければなりません。ここにサタン世界の根拠地があり、核が残っているという事実を知らなければなりません。悪が皆さんの前にあるのではありません。環境が悪く、世界が悪いのではありません。皆さんの心にあるというのです、心に。心にあるというのです。(一三一\一三七)