P.280

二 早くから人生の問題について悩まれる

先生はすでに小さいときから、ずーっと人生の問題に対して深刻だったのです。死の問題に対して深刻だったのです。天があるということを知り、世の中がどのようだということを皆探求し、「私はこのように行く。公式的な路程はこれだ。」と決定したのです。

では、一生の間迫害を受けて、一生の間考えながら来たので、してみなかった考えがあるでしょうか? 深刻な場でも、難しい場でも、苦痛を感じる場でも、すべてそのようにしてきました。無数の敵、無数の敵を銃刀をもって防いできたのではないのです。背後の様々な作戦を通して、具体的にしてきたというのです。ですから、皆さんが楽な生活をするというのは、間違っているのです。将軍になる人の出発するときの考えと、兵卒になる人の出発するときの考えは違うのです。(一二四\一九八)

先生は本の一ページをもって何ヵ月間研究し、一つの題目をもってでも、何ヵ月間考えながら尽くしてみたこともあります。重要な人生の根本問題、実存問題についてそうでした。そのような問題は、生命を尽くして立ち向かわなければなりません。これが解決されれば、私という個体だけではなく、万民が解放されることができ、天地の解怨成就が開かれるということを考えながら、死ぬという恨があったとしても生命をかけてするのです。そこで死ぬとしても、その死は嘆息の死ではなく、素晴らしい栄光の死であるのです。ですから皆さんは、前後左右を心得て、真なる結果がどこから決定するのかということをはっきりと知って、信念を持って立ち向かうのです。こういうことが分かりますか? (三七\一四〇)

先生は少年時代から、人生に関して次のような様々な基本的な問題に対して悩み始めました。「私はだれなのか? 私はどこから来たのか? 人生の目的は何だろうか? 死んだ後に私たちの生命はそのまま続くのだろうか? また、神様は果たして存在されるのだろうか? 神様は全能でいらっしゃるのか、あるいは無力な存在でいらっしゃるのか? もし神様が全能でいらっしゃるのなら、神様はなぜ人間世界の問題を解決してくださらないのか? この地球上には、なぜ数多い苦痛が存在するのか?」

とにかく、その後から九年間、先生は、いつでも全能でいらっしゃる神様、そしてイエス様とともに生きてきました。先生は何回かにかけて、霊界に入っていってみました。次第に神様は驚くべき真理を教えてくださいました。それはまるで長く暗い夜が過ぎ去り、朝日が昇るかのようでした。その真理の中で、先生は光輝く新しい文化の瑞光(めでたいことの前兆)を見ることができました。(一〇二\二八八)