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五 学生のときの生活

「私が神様を気狂いのように愛することを見せてあげて、証すことのできる姿勢を備えよう。」これが先生の考えでした。それでは、愛することにおいて限界点はどこか? それは皆さんが考えている取るに足りないところではありません。

ですから先生は、花のような青春時代が早く過ぎていくことを願いながら催促しました。先生が学生のときには頭を上げないで通いました。頭を下げて通ったのです。(三七\三五)

学生時代には、学校から帰れば制服を脱いで投げて、労働場に行って仕事をしました。私がお金が無くてそうなのではありません。してみなっかたことはありません。石炭を運ぶ仕事もしてみたし、作男暮らしもしてみました。あらゆることを皆してみたのです。結局人間の苦楽がどのようなものかを皆知ってみたというのです。ですから私がしなければならないことは、その苦楽を経ながら生きている人間たちを解放する責任者になって、この人々を完全に解放してあげることだと考えたのです。(三七\三六)

先生が皆さんのような年齢のときに、うらやましいことがなかったでしょうか? 皆さんは映画を見に映画館にもよく行くでしょう? 先生は映画を見もせず、映画館の前に行かないときがあったということを知らなければなりません。

どんなに醜悪な行動をするのを見ても、そこで感染しないでそれらを指導することのできる主体性を身につけるためには、そんなところも経なければならないのです。それはなぜか? 私がそれ以上に越えていって、全部過ぎていって、映画館だろうがこのようなところをどんなに通っても引っかからず、行って、寝て、暮らしても、そこで犯罪を犯さないでいられる線を越えて立たなければならないからです。(九三\二七八、一八四\二四七)