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四 先生の小学校時代

昔も学校に行くための学院がありました。ソウルにも大学に入るための学院があるのと同じようにですね。そのときでいえば小学校です。国家が認定するそういう学校に入るための前段階として学院があったというのです。その学院に行って勉強して、編入試験を受けなければなりませんでした。そんな中間教育機関として学院がありました。その学院に行くために、従兄弟をけしかけて革命をしたのです。

両親は反対するのです。祖父も「おまえたちが行けば死ぬ」と言うのです。そんな過去があったからです。そんな環境を全部押し退けて学校に行くのです。学校に行けば、皆日本語を学ばなければならなかったのですね。カタカナ、ひらがなを勉強したのが昨日のことのようです。それを一日で全部覚えてしまいました。

学校に行ってみると三学年、四学年、五学年の生徒たちは日本語を話すのにですね…。そのとき私たちが年を取ってから入ったために背が大きかったのです。それなのに日本語を一言も知らないので、それを何といいますか? そのときのその苦しかったことは、感じたことのない人には分からないことでしょう。ですから、雷のように一学年、二学年、三学年、四学年、全部の本をたった一五日ですべて覚えてしまいました。そうしてみると耳が開けるというのですね。そんな話…。(一七一\二五八)

先生も勉強するでしょうか、しないでしょうか?(勉強しました)。先生が勉強するときは、雷のように勉強しました。何年かの間にすることを、あっという間にやってのけたというのです。今でも故郷を考えると…。先生の故郷は北韓なのですね。定州から北東方向に約八キロの距離にある全くの農村だったというのです。皆さんはランプを知らないでしょう、ランプ?(知っています)。ランプを知っていますか?(はい)。どんなものがランプですか? 油をこのようにして勉強したのがついこのあいだのようです。二時、三時、夜を明かして勉強すると、お父さん、お母さんが「おい! 寝ろ。体が弱くなったらだめだ。」このように言ったのです。いつもそうだったのです。

そのとき、私がいちばんの友にしたのは夜虫たちでした。夏には夜虫を友達にしたのです。スッと、このように座って二時、三時までいたのです。静かな夜に…。田舎の晩は本当に静かです。虫たちが月夜に鳴く声はとても神秘的なのです。サッと山で遊び回ったことが、つい昨日のことのようです。昨日のようなのに…。それはどういうことかというと、私たちの人生が短いということなのです。短い人生だというのです。(一〇〇\一六一)

先生は小学校に通うときから校長先生の行動を見て、「僕はこのように生きなければならない」という訓練を絶えずしました。(二五\一二四)

小学校の卒業式のときに答辞の時間があります。そのようなときには、だれかが卒業生を代表して答辞を読むようになります。そのとき、先生が最後に壇上に上がって訴えたことを今でも覚えています。そこには警察署長、郡守、校長先生など、地方の有志たちが皆集まっていました。先生はそのような場を願っていました。ですから堂々と壇上に上がりました。そして言いたいことがあると言って、少年時代の教育に対する批判と、今までの先生に対する見方を話したのですが、それが大きな問題になりました。小学校を卒業する学生がそんなことを言うとはだれも考えられないことでした。ですから先生は、そのときからレッテルが貼られるようになりました。(一五\一八二)

先生は頭が悪くないのです。小学校六年生のとき、一八〇ページの本を一日で覚えた記録を持っているのです。そんな頭を持っている人です。精神だけ集中すれば、一度見れば分かるのです。私が今、英語の勉強をしなければならないと決心しても、それに集中するようになれずにいます。ですから、英語ができる皆さんをつかまえてさせなければならないのです。

それでは、昼だけさせることを願いますか?「アイゴー、夜は寝なければ。」それでいいのですか? 昼でも晩でもいつでも…。そうしてどうなるのか? 先生がしようと言う通りにしながら、先生に従っていくのです。先生に従っていくようになれば、この世界だけではなく、永遠に先生に従っていくのです。(六六\七五)