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1 勉強する目的
今日世界の人たちが生きるとき、生活するのに何を中心として生きますか? 勉強する目的がどこにありますか? 人間完成ではありません。生活的方便として活用される物質的条件の豊かさを拡張するためのひとつの方法として知識を追求します。権力も同じです。
自分の出納記録をした、自分自らの経済的基盤を自由化できる舞台を形成するための方便と考えています。(一二六\二二五)
皆さん、勉強する学生たちが「私が熱心に勉強するのは立派な人になろうということです」しかし自分が学博士になるといって立派な人ではありません。学博士になっても相対圏以上の主体形を占めるようになるときに、主体的な立場に立つようになるときにはじめて自分が勉強した以上を実現できるのです。ですから今努力するのは相対目的のために努力するのです。そうではないですか? 農業をする人が種を蒔くことも結局は秋に収穫できるという相対的目的に向かって蒔くのです。これは宇宙の現象世界、あるいは作用世界の帰一点です。(一〇九\一二一)
勉強を何のためにするのですか? 勉強ゆえにする人は落第です。お金を稼ぐのもお金ゆえに稼ぐのは落第です。そこのこの愛という言葉を全部皆もっていってつければどれほど美しいでしょうか? それでは神様も「おー、その子どもは私に必要であり、その力は私に必要であり、そのお金は私に必要だ」このように答えるというのです。分かりますか、何の話か? どうですか?(そうです)。(一二九\二八五)
2 勉強は自分のための手段ではない
皆さんが勉強する目的が個人の出世のためなら、その社会的与件が個人が出世できない予件になるときには、その社会で戦闘する位置に入っていくようになるというのです。そんな人は自分の家庭のために国家の福利を塞ぐ人であり、個人の福利のために国家の公益を忘却する人です。(三四\二一)
皆さんが国家を中心として統一理念を立てるためには皆さんの国家観が全部一致されなければなりません。皆さんは今そうですか? 自分の出世のために勉強して、自分の生活問題を解決するために就職をする人はそこから流れていくしかない人です。(三四\二四)
さて、それでは皆さんはここに来て勉強する目的は何ですか? 自分が出世しようと勉強するのですか?(いいえ)。自分が好きで、好きな基盤を通して出世するのは、永遠に自分のものになります。しかし好きでないのに手段、方法を問わず成功したら、それは必ずサタンが奪っていくのです。神様がぶち壊してしまうというのです。(七六\二七〇)
皆さんが勉強するのもそうです。「私がこのように勉強して博士学位を取ればこそよく暮らせる」請うなら博士学位をどうにかして取ってみなさい。深刻なことです。自分の娘、自分の息子を博士にさせるよりむしろ食口たちの息子娘がいわば(その子たちを)博士にさせたい心を持つべきです。世界のために働く食口たちのために。
私は怨讐の子息たちまでも彼らが知らない中でお金を送り、素質があるので勉強をさせてきました。飢える怨讐たちには、ご飯を食べさせてきた人です。(一三〇\三一五)
世の中を見れば、世の中の家庭は全部皆自分の息子娘のためだけにして、自分の家庭だけのために暮らしているのです。皆さんが勉強をしてもだれのためにするのですか? 国のためだと考える人がいません。勉強するのは全部皆「私が出世するために、私が何かになって世界を牛耳るためにする」というのです。全部皆自分個人を中心として、自分の家庭を中心として、自分の氏族を中心として、自分の民族を中心として、自分の国を中心としてするというのです。それしか考えられないのが人間です。(六五\三四)
ある人が勉強するのにおいて、自分が基準としたことを中心としてその目的を果たしたとするとき、自分が喜ぶことのできるその目的成就の価値を全体の分野に適用させることができ、またそれをひとつの要因として活用することができるかという問題においてみるとき、それが極めて制限された限界圏内に属するということは避けられない事実だと見られるというのです。しかし、私たち人間の欲望は制限されたある限界圏内の勝利の価値だけを追求するのではないということを私たちは知っています。(五〇\一一)
3 勉強する目標
勉強する人は「ああ、私たちの家、私がよく暮らすために勉強する」というのと「ああ、国と世界をよく生かすために勉強する」というのと内容が違います。では普通の人は何のために勉強しますか? 自分が出世するために、自分の家庭のために勉強します。国とか世界のため勉強しなければなりません。
それでは理想的といえばどうなるべきですか? もちろん私のために勉強するというのも理想です。しかしそれよりは、家庭のためというのがより理想的だというのです。そして、家庭より国のためにするというのがより理想的であり、国より世界のためにするのがより理想的であり、世界より宇宙のためにするのがより理想的だと、こうなるのです。(一一八\二一四)
女性として生まれた皆さんも、人と同じように生まれて育って勉強をして嫁に行っても、皆さんは世の中の人たちと違わなければなりません。世の中の人のようなら勉強だけすればいいですが、私たち統一教会の教会員たちは勉強をしながら未来の復帰の道を開拓するために、二重の生活をしなければならないのです。(四三\二五二)
それでは、皆さんが勉強をして有名な大学を出てすることはだれのためですか? 「ああ、嫁をうまく得て息子娘を幸せにしてあげるためだ」という人もいるでしょう? しかし「私が国のため、世界のため勉強する」というとき残るのです。国はそんな人を必要とし、世界はそんな人を必要とするのです。合っていますか、合っていませんか?(合っています)。神様は?(神様もそうです)。これを確実にしなくてはなりません。(一二八\三〇二)