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1 真なる学生
今日、人間たちの中に真なる人がいますか? これが問題です。不幸だという人たちが、真の人になれますか? 皆さんは金が好きでしょう? 皆さんは純金を願いますか、それともほかのものが混じったものを願いますか?(純金を願います)。ほかのものを混ぜ合わせて、それを本当の純金だと言ったら、人は嫌がるはずです。純金は、純度が九十九パーセントでなく、百パーセントでなくてはなりません。
それでは純金と純金が合わされば、それはどんな金になりますか? 純金どうし合わせれば純金になりますが、その純金に少しでも偽物を混ぜたら偽の金になります。ですから純金に純金をどんなに加えてもいいですが、そこに少しでも偽物を加えたら本物の純金まですっかり偽物になってしまいます。このように考えるとき、果たして真なる人はいるのでしょうか。いると思う人は手を挙げてみなさい。
ここに学生たちがいるのですが、私たちはよく「真なる学生だ」と普遍的に言います。これを皆さん、知らなくてはなりません。私たちがいう真なる人というのは、普通の人より少しよい人をいうときの言葉です。ある町内を中心にしてみるとき、町内の学生たちの中で、少しよく見えれば「真だ」というのです。ですから、今町内で使う真だというその言葉は、絶対的なものになりえません。(四一\一七一)
ある学校の学生たちがいたら、その学生たちの中でもっとも真なる学生はどの人であるといったとき、それはどこまでもその学校で言うことです。その学校について見るとき、そこには過去もあり未来もあります。そうならば、その学校で現在最も真だという学生が、過去も代表できますか? 現在の数多くの学校の学生たちの中で随一の中心になれますか? さらには、未来の数多くの学生たちの前において中心になれるかという問題を見るとき、自信を持てないのです。
また、ある人について「あの人は私たちの村だけでなく、大韓民国人だれでも真の人だと認めることができる」と言ったとき、果たしてその人が過去を代表できるか、現在を代表できるか、未来を代表できるか、等々の問題が連結されて問われるのです。(四〇\三〇六)
「真なる学生」というときに、その真なる学生は何を忘れてしまうべきですか? 図書館に十人の友達が入って勉強をするというとき、勉強するのを忘れて勉強する人、疲れも知らず、昼なのか夜なのかも忘れ、ご飯を食べるのも忘れてしまって勉強する、そのように何かを忘れて勉強する人が真なる学生です。
どこに行っても真の愛だけしようというのです。お兄さんにお仕置きされても蹴られても忘れ、こちらの隅で打たれたら、向こうの隅に行って「あっ、お兄さんどこに行くの?」と言いながら、むち打たれてまだ痛みも取れないのについて行く、そんな人が真の弟です。(一七四\二八)
2 よい学生
学校の学生は、校長先生をはじめ、先生方が考える通りについて行く学生はよい学生であり、そこに違反する学生は悪い学生である。これが理論的です。家でもそうです。家でもお父さん・お母さんの考える通りについて行く人はよい人であり、それに反対する人は悪い人なのです。
それなら、会社の社長の考え通りにする社員はよい社員であり、違うことをする社員は悪い社員だといえば間違っていますか、正しいですか?(正しいです)。統一教会のムーニーたちの中で、レバレンド・ムーンの考え通りにする人たちはよいムーニーであり、その反対の人たちは悪いムーニーだ。これは正しいですか?(はい)。それでは、皆さんはどちら側ですか?(よいムーニーです)。何がよいムーニーですか? レバレンド・ムーンと考えが同じで?(行動が同じ人です)。ちゃんと知っていますね。皆さん、私よりよい考えを持っていますか?(いいえ)。でも、私はそれを願っています。皆さんもそうですか?(はい)。
このような論法でみるとき、神様が考える通りに考える人はよい人になれる、なれない? どうですか?(なれます)。(一〇四\二〇六)
グッドボーイ(good boy:よい学生)とは何ですか? バッドボーイ(bad boy:悪い学生)を消化でき、彼に教えることのできる基準を持ってはじめて、グッドボーイだということを知らなくてはなりません。グッドボーイはいつでもバッドボーイの影響を受けず、バッドボーイがグッドボーイの影響を受けるようになっています。それを知らなければなりません。バッドボーイにもなりグッドボーイにもなることはありえないのです。そうなれば、それはグッドボーイでなくバッドボーイになるのです、バッドボーイ。二つの世界を行ったり来たりするのです。(一一六\一九五)
皆さん自身が考えてみて、皆さんはよい人ですか、悪い人ですか? もう一度聞いてみます。(よい人です)。皆さん、どれだけ皆さんのお父さん・お母さんを好きになって、愛したことがありますか? だから悪い人です。皆さんの兄弟をどれだけ本当に愛したことがあるでしょうか。愛してみましたか?(はい)。愛したことのない人は悪い人です。皆さんの友達をどれだけ好きになったことがありますか?
皆さんの先生をどれだけ好きになったことがありますか? この世界の聖賢をどれだけ好きになったことがありますか? いちばん好きになるべき神様をどれだけ好きになったことがありますか? このような問題を取りあげて、私がよい人か悪い人かと尋ねてみるとき、皆さんはどうですか? そのように聞かれたら、よい人ですか、悪い人ですか?(よい人です)。今よい人ですか?(笑い)皆さんは、いつでもそれを考えなければなりません。(七六\二七五)
私はきのう水択里に行って中学・高校生たちにこんな話をしました。父母の世話になったら、それはよいことではないので、それ以上に返さなければならないと言いました。父母の愛の種が大きいならば、実一つでも返すことのできる結実を結ばなくてはなりません。それゆえ父母の前に孝行しなければなりません。師を尊敬しなくてはならないし、社会と国の前に忠誠を尽くさなければなりません。父母の前に負債を負ってはなりません。(六八\一七一)