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1思春期を正しく過ごせ
未婚の男女たち、思春期には男性は女性に、女性は男性に互いに会いたがります。そうでしょう?(はい)。心がそわそわし始めるのです。そうでしょう?(そうです)。私は皆さんの心が分かりません。そうですか、そうではないですか?(そうです)。皆さんの心は本当にそうでしょうか?(そうです)。率直でなければなりません。この娘さんたちもそうでしょう? 男性がいれば男性に「フン」といってとぼけていますが…。そうではないですか? そうなのです。
男性たちは十七・八歳にもなると早くも感情が高まり、どこか線路沿いの道などで、女学生や気立てのよい娘が通るのを見ると、「いつまた見ることができるだろうか?」と考えるのです。女性たちは「あのような男性ならお嫁に行こう」と考えるのです。そういうことばかり考えているのです。(笑い)どこかに行ってこのような気になると、先生は気分が悪いです。(笑い)感情が鋭いのです。ちょっと見ればもう分かるのです。そうでしょう? 皆さん、そうですか、そうではないですか?(そうです)。皆さんもそうですか!(笑い)だから思春期は危険なのです。
近ごろの世の中は何かと騒々しい時代です。そのような風が吹くこの天地に、統一教会の食口たちは絶対そうなります?(なりません)。なりません。彼らの思春期は「思う」の思春期ではなく「死ぬ」の死春期です。(笑い)分かりますか?(はい)。何と言いましたか?(死春期です)。気分がいいですか、悪いですか? さあ、どちらを選びますか? わっ、すごいですね。(笑い)
だから、その忌まわしい目をえぐり取れというのです。(笑い)死んでしまうので、早くその忌まわしい目をえぐり取れということです。この憎い鼻をひねってしまえとういうのです。この穴を塞いでしまえ、この舌を引っ込めさせろ、ということです。それでこそ死なずに済むのです。なんだ、そんなの…。簡単にできますか?
それではイエス様には思春期がありましたか、ありませんでしたか?(ありました)。イエス様にも思春期がありました。イエス様にも思春期がありましたが、どんな思春期? この「思う」の思春期を歩みましたか、「死ぬ」の死春期を歩みましたか? どんな思春期を歩みましたか? 誰にでも口笛をぴゅっと吹き、合図を送る、そのような思春期?(違います)。「思う」の思春期を歩んでいったのです。
まず、皆さんはこの思春期をうまく過ごさなければなりません。生きんとするのは思春期であり、死なんとするのは死春期です。死のうとしてこれを抜け出れば、一回りして反対になれば、百八十度回転すれば死春期が変わって思春期になります。だからイエス様は死ぬ死春期を通して希望の春の日、新しい生きた春の日である新郎新婦の思春期に向かって歩んだのです。分かりますか? このようになるのです。それが歴史です。
人間の堕落とは何ですか? 神様を中心として春の日を迎えられないのです。そうでしょう? 春の日が来たら、孝行者になろうという者たちが自分たちだけ春の日を迎えるのですか? 父母を中心として「お父さん、お母さん! きょうは春です。私たちと一緒に出てこの日を楽しみましょう」これこそ孝行者であり「お母さん、お父さん! きょうは春の日ですが、春には昼寝をするのが適当です」と言って昼寝をさせておいて、自分たちだけで唄を歌ったり、踊りを踊ったりする連中が孝行者ですか、孝行者ではないですか?(孝行者ではありません)。孝行者でないばかりか、ろくでなしです。そうでしょう?
堕落とは何ですか? 神様を中心として、神様の側から見れば死春期の始まりです。死春期なのです。死春期の歴史が始まるのです。それゆえ、死なんとする者には春が来るのです。新しい時代が来るのです。このような役割を今まで果たしてきたのがキリスト教歴史です。(五七\一五九)
今日、ティーンエイジャー(teen ager:十代)が重要だというのですが、それはどういうことですか? これはプラス(+)やマイナス(−)、どこでも…。向こう見ずに、やたら歩き回ろうとするのです。だから社会に破綻を招き、自分自体に破綻を招くのです。また思春期は変わるときであるので、誰か一言だけ言っても「フン!」と言って…。皆そうです。どんどん変わるときなので、どんどん歩き回ろうとするのです。
それで秩序に従い、状況を見つめながら行かなければならないのです。皆さんが今これを全部整理しなければなりません。全部整理しなければならないのです。びくともしないものをすべて整理しなければなりません。では、善悪の中で悪は何ですか? 破綻するためのものです。いかなる保護作用も成立しないということを知らなければなりません。分かりましたか?(はい)。(一一八\一九七)
思春期は女性も男性も危ない時です。それゆえ、思春期に立場を誤って選択して一生を滅ぼすこともあれば、正しく選択して人生を豊かにすることもあるのです。そのような問題が起こるのです。(一二四\一二〇、五〇\二七〇)
若い青春時代はほんの短い期間です。レバレンド・ムーンは最も貴い時を正しく過ごした人なのです。どんなことがプラスになるでしょうか? 若いときに遊びたいだけ遊び、踊りを踊ったり、そういうつまらないことに押し流されることでなく、迫害を受け、嘲笑され、真のものを本質化するためにこの道を行くのです。先生の路程は過去もそのようであり、未来もそうです。この道はいつも同じなのです。(一二九\一八〇)
2 秩序を正しく守れ
セルフ・センター(自己中心)の悪いところはどこですか? 自分を中心とする観念が無ければ秩序自体の位置を確保できませんが、それがなぜ悪いのかといえば、秩序を破る立場で行動をするように主張から悪いのです。分かりますか?(はい)。秩序を破ることが悪いのです。愛の悪いところはどこですか? 愛はすべて悪いわけではなく、愛は時に従ってすべて与えられるようになっているのに、秩序を破り、時を守らずに犯したことが悪いのです。
では、このように見るとき、サタンと神様とどれだけ差があるかというと、隣り合わせなのです。(笑い)サイド・バイ・サイド(side by side:並んで)という言葉が実感できますか?(はい)。何が違うでしょうか? 秩序、順序が違うだけなのです。
今日、サタンはこのような作用を世界に拡大させています。青少年たちが父母に反対し、家庭を破綻させるのは、この法度においてこれは秩序を破綻させるから悪なのです。それによって家庭が破壊され、それによって社会が破壊され、それによって国家が破壊され、それによって人間が破壊されるので、これが悪でないはずがありません。
思春期の時は力を出して、映画に出てくるスリルある場面を実践してみたいと思うものです。人々はそれがどうして悪いのかと言います。それは、そのように勝手気ままな行動をすると、環境を破綻させることになるからです。それゆえ、制裁をしなければならないのです。皆さんの知性が完全に明るく開かれて、社会の体験と環境的なすべてのことをコントロールできる時になればできますが、今はできないのです。
子供になぜ刃物を持たせるなと言うのですか? ぱっと振り回すからです。切ることを覚えるのです。切ることを覚えてさっと切るわけです。だから母親の手も切ってしまうのです。さっと切るのです。そういうことも起こりえます。そのように秩序を破壊するので持たせるなというのです。分かりますか?(はい)。
私たちが時間を定めて「八時に来くるように」と約束をするのですが、八時一〇分に来て「八時一〇分ですが、なぜ悪いですか?」と言うのはだめなのです。八時一秒に来ても、それはいいですか、悪いですか?(悪いです)。一〇分ころに来る人もいるのに、一秒くらいいいでしょう…。(笑い)それがいけないのです。この世界では通じません。八時がいちばん秩序よくぴったりしているからなのです。
では、八時なのに六時に来た人、七時に来た人、七時五九分五九秒に来た人とどのような差があるでしょうか? 秩序で見ると、これは同様です。これ(七時五九分五九秒に来た人)が本当に時間を節約したことになり、本当に時間をきちんと守る人なのです。
さて、ここにいま一人、「私は時間ちょうどに来るのがいちばんだ」という人がいた場合は、二人ともよいのです。これは不平を言うことができません。悪いとはいえないのです。それゆえ、このような秩序と順序という法が重要だということを知らなければなりません。
それゆえ秩序というものが必要になります。宇宙はそれで維持しています。秩序と法に従って運行していくのです。宇宙もそうです。考えてみてください。月が「私は地球をこれだけ回って飽きたので一度太陽を回ってみよう!」と言ったら、月は砕け散って無くなります。それ自体の価値が無くなるのです。
また、地球が「私は太陽系、太陽を中心に回るのに飽きたので、太陽よ、お前が一度私を中心に回ってみろ!」と言ったらどうなりますか?(笑い)どのようになりますか? この宇宙が破壊されてしまいます。ほかの衛星まですべて混乱が起こったらどうなるかというと、宇宙が破綻するのです。分かりますか?(はい)。(一一七\一八四)
天下のどんな人でもいえることですが、とくに思春期の時期の青少年たちは「自分のやりたいようにするのが最高の自由だ」このように考えるでしょう? 「この世の法や制度を誰が作ったのか? 適当に必要な人たちが作ったのであって、私が作ったのではない。私はこの法を無視する」と言って天下を恐れないのです。何でも自分勝手にやりたいのが若い思春期時代の生活であり、希望に満ちあふれているのが若者たちの心です。しかし、それがその通りになるわけではありません。(一五六\八四)
3 初恋を神様に捧げよう
イ)「取って食べるな」の意味
聖書には「取って食べるな」とあります。なぜ「取って食べるな」と言ったのでしょうか。それは初めからある時まででしょうか、あるいは永遠なのでしょうか?(ある時までです)。このように見るとき、「取って食べるな」というその言葉は、過程的な内容を中心とした愛の警告ならば理解できますが…。それは思春期という成長期間があるためにそう言ったのであり、永遠に取って食べるなということではありません。ではなぜ善悪知るの実を取って食べるなと言いましたか? それは何の問題ですか? それは人間と天を破綻させる動機となる内容があるために問題視したのであり、そうでなければ問題視する必要もないのです。
原理でいう堕落という言葉、今日、何も知らない人間において、堕落という言葉は偉大な福音だということを知らなければなりません。偉大な福音です。苦痛の時代において、堕落という警告は極めて偉大な福音なのです。
善悪知るの実、これが果実ならばすべて…。だから果実であるはずがないのです。それは何の果実ですか? 果実を中心として億千万の人類が悶え苦しみますか? このように破綻をもたらし、闘争する路程でうめく現状をもたらす果実を神様はなぜつくりましたか? これは今レバレンド・ムーンが話す、愛の内容を中心とした果実の結果だったというのが何よりも理論的に近いのです。(一二八\八七)
皆さんは今これから咲こうとする花のつぼみがいいですか、すっかり咲きった花がいいですか?(つぼみがいいです)。先生はすっかり咲いた花が好きなんですが。(つぼみが好きです)。それは皆さんがつぼみなのでつぼみがいいと言うのでしょう。咲こうとする花がいいですか、すっかり咲いた花がいいですか?(咲こうとする花がいいです)。皆さんがまさに咲こうとする人たちでしょう?(はい)。
咲くのにおいては、自分の思うままにいっぱいに咲くべきです。分かりますか? 他人の力によって咲かずに自分の思い通りに大きく咲けということです。どういうことかというと、皆さんが自然に育ち、自然に思春期を過ぎ、自然な環境で大きく花開き、愛したい夫を迎えなければならないのです。分かりますか?(はい)。咲くこともできないままつぶれてはいけません。葉が落ち、花粉が落ちた花になってはいけません。分かりますか?(はい)。男たちも同様です。男たちも大きく咲かなければなりません。
まだ咲いてもいないつぼみなのに、手段方法を中心として手紙を出したり恋愛したりするような、そんなとんでもない者になってはいけません。分かりますか?(はい)。自然に大きく咲かなければなりません。神様がご覧になるとき「純然と本性的に咲いたな。香りをかいでみると純粋だ」と言えるようでなければなりません。分かりますか? それゆえ神様も希望が多いのです。
そのような神様は純粋なものを願われますか、つぶれたものを願われますか? それでは皆さんはどうですか? 純粋なものを願いますか、つぶれたものを願いますか?(純粋なものです)。堕落した皆さんも願うのですから、神様はそれをもっと願うのではないですか? それゆえ皆さんが純粋な情をもって大きく咲き、今日の堕落した世界において悲しみの絶頂に陥るのでなく、それを越えることのできる価値ある皆さんになってくれることを願うのです。(四七\八八)
ロ)初恋は貴い
初恋は根こそぎ占領します。愛の主体は誰ですか? 神様です。愛の主体が神様なので、愛することができるのも神様一人しかいないのです。本来、初恋は神様とするようになっています。ところがそのようにできなかったのが堕落です。
エバは誰と愛しましたか?(天使長とです)。ところが喜びながら愛さなければならないのに、顔をしかめて泣きながら愛したというのです。皆さん、堕落するときにエバが「ああうれしい! 取って食べて本当においしかった」と言ったでしょうか? エバが天使長に強姦されたとき、その心はどうだったでしょうか? 良心の呵責を受けながら天使長の誘惑に引きこまれていったのです。すべての細胞が喜び、花が春を祝い楽しむように愛さなければならなかったにもかかわらず、細胞が朽ち果て、心情が朽ち果てた立場で顔をしかめて愛したのです。
皆さん、初恋は貴いと言いますか? 私はよく分かりませんが、皆さんはどうですか?(貴いです)。皆さんのほうが私より上ですね。それでは、答えた人は初恋をした経験があるようですね。(笑い)こういうときは黙っているものです。皆さんに一言おうと思ったのです。もし、ここにいる女性たちがそのような答えをしようものなら、気合いを入れようと思いましたが、男性が答えたので我慢することにします。とにかく初恋がいいという言葉は聞いたことでしょう。
ハ)初恋を神様の前に
皆さん、考えてみてください。二十代に近づいた青少年として、汚されず染まらない高潔な純情を大事にしっかり包んで、どこに持って行くべきでしょうか? 天がいちばん喜ぶことのできるその祭壇の前に置いて、神様が喜び、その次には自分と同じ純情を持った男性あるいは女性が出会い、神様が結んでくださる神聖な場が新郎・新婦の出会う場であるにもかかわらず…。
先生の心に記憶される皆さんにならなければなりません。分かりますか? その次には、神様の心に記憶される皆さんにならなければなりません。そのような思想を持ち、もう皆さんは少しの間中学・高校時代を送った後、大韓民国の実戦部隊に責任を果たさなければならず、さらには実務の責任を担うべき青少年ではないでしょうか。(六四\八四)
ニ)純種となれ
自分の体は貴いものです。これを汚さずに天に孝行しろというのです。天に奉仕する責任を持ち、神様から認められた体を持ち、サタンの死亡圏から脱出しなければなりません。これは人間としての最高の目的であり、またそれが基準なのです。創造原理でいえば、そのようにならないはずがないのです。(一五\二〇二)
皆さんは神様の前に純種になりましたか、なっていませんか?(なっていません)。純種となるためにはどのようにしなければなりませんか? 従順にしなければなりません。それで皆さんがいうことを聞かなければ、殴ってでも従順にする法度を教えるのです。神様の愛を教えるのです。これがキリスト教です。だからキリスト教はすべての宗教の中心になる宗教なのです。
今から純種の種子を作らなければなりません。それでは、種子を割ってみれば、その種子の中心は何ですか? 皆さん、種子の中心は何ですか?(胚乳です)。胚乳の中心は何ですか? 神様の愛なのです。それでは皆さんの頭を割ってみれば、その中心は何ですか? 神様の愛です。神様の愛なのです。種の中心、すなわち根になることのできる動機は何ですか? 神様の愛です。神様の愛から出発するのです。(三三\三三二)
ホ)初恋を持って霊界まで
初恋の心を持って神様の前に行かなければならないのです。(一二九\一四九)
初恋とともに行く人が、天国では最高の位置に行くということを知らなければなりません。どういうことか分かりますか?(はい)。(一二九\一三五)
この地上に生きる人で天国に行くことのできる人は、初恋を中心として生き、初恋によってすべてのことを放棄し、初恋に生死を委ねて生きるという人です。それゆえ、正しい初恋をしなければなりません。(一二八\八五)