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第一節 青少年期
一 青少年期は春の季節
春は誰もが好きな季節です。冬と春は全然違う季節です。春と夏と秋は、そのまま自然に連結されるのですが、冬と春の間には格段の差があります。それゆえ、私たちの心と生活に大きな変化をもたらすときが、つまり冬と春が交差するときであると考えるのです。
春になると、いろいろな草木が新芽を吹き出すのが見られます。それはすなわち、万物に変化をもたらすときが春だということです。それだけでなく、季節が移り変わるにつれて移動する渡り鳥の群れも新しくたくさん出てくるのが見られます。また、春には花の咲くのが見られます。
それゆえ、春の季節はすべての万物が自分のいちばんよいところを自慢する季節ではないか、と考えるようになります。私たち人間もその環境に従ってこの春という季節を心の中深く感じてみたいという心情を持っているのです。
この春をそのように考えるとき、ただ「春が来た。春はよい季節である」という考えよりは、この良い季節を迎えるため、その背後には普通の季節と違う受難の過程を経ていなかったかということを私たちは考えるようになるのです。
それと同様に私たちは、一年を中心にして四季が変わる度ごとに変化をもたらすことを見るようになります。それでは自然にだけそのような季節の変化があるのかというと、そうではありません。この四季と同じことを、私たちは一日の中でも見ることができます。朝は春に当たり、昼は夏を象徴し、夕方は秋を象徴するのです。また夜は冬を象徴するものと見ることができます。
朝が好きか夕方が好きかというとき、大多数の人々は朝が好きだと言います。なぜですか? 闇を象徴する夜がすべてを覆い隠していたのが、新しい朝を迎えることのできる変化の過程を経てきたので、朝というのが私たちにとってもっと貴く感じ刺激的に感じるようになるのです。さまざまな鳥だとか人々は、やはり朝に希望的であり、朝に喜ぶことのできる姿で現れるとき、その朝の気分がその一人の人の一日の生活全体を左右することも私たちは知っています。それゆえ、朝に気分がよければこそ、その日の気分がよいのです。朝は休んで起きるので、自動的に気分が良くなっているのです。
これと同じように、一日一日にも春の季節に該当するときがあるように、私たち人間の人生をとってみても、春の季節と同じようなときがあることを私たちは知っています。皆さんが知っているように、思春期の時期、青少年の時期はそれこそ人生における春の季節に該当するのです。その次に青年時代、壮年時代、老年時代があります。春夏秋冬と同様の道を歩いているのです。(六六\一八一)