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子供たちを見ていると、おもちゃなどに対してすぐ反応します。何か不思議なものが動いている、というわけです。おもちゃは何でも好きですが、動くもので直感的に感じるのは動物です。子犬だとか、昆虫かなにか。子供たちは皆、飛び回る生き物や野生の動物といった動くものが好きなのです。
なぜでしょうか。もともと人間はそうなっているのです。人間は、自然世界やこの地球の動きを見て興味を覚えるものなのです。それを楽しんで、もう一つの相対のように…。もちろん、(人間の相対とは)相対基準が違いますが、それを鑑賞するところで、人間は本当に楽しみ、興味を感じるのです。それによって、自分自身の愛の属性を一通り学びます。虫、昆虫、動物が生きていくのを見ると、どれも皆つがいになっていることが分かります。このような観点から自然とは何かというと、唯一人間だけを愛の対象として、相対理想を教育するために展開した教材、博物館なのです。
ですから鳥たちの歌には三つの種類があります。まず、おなかがすいたときの歌と、次に愛し合う相対のための歌、そして危険を知らせる歌があります。それが皆違います。普通の人は分かりませんが、彼らの世界ではちゃんと分かるのです。おなかがすいて鳴けば、即座に分かります。そうなっているのです。彼らの毎日の生活は何が中心でしょうか。おなかのすいたのは、一回食べれば済みます。かといって、毎日のように危険にさらされているわけでもありません。大部分の歌は何を中心に歌うのかというと、相対と授受する関係で歌が行き交いするのです。(一三七\二一一)
人間は主体と対象、すなわち相対的な男性と女性に創造されており、さらに人間のためにある万物世界全体も、愛の原理の下に調和を成し、また人間の愛によって生命と理想を実現するようになっています。
万物世界は人間、とくに成長過程のアダム・エバにとって愛の教科書であり、愛の真髄が無尽蔵に陳列された博物館なのです。(一三五\一二)
初めは、神様の子女として誕生したアダム・エバも、神様の保護圏内で幼い頃から育てられ、高められるに従ってだんだん大きくなっていきます。そうして知能が発達するので、神様がなぜ被造世界をつくったかを知るようになり、その被造世界を通して教育されていくのです。森羅万象のすべては、人間始祖、本来の祖先となるアダム・エバが生活していけるすべてを教える教材だったのです。「一つの完成したアダム・エバ」になっていないので、理想の生活をしていくために必要な標本であり博物館であったという事実を知らなければなりません。(一三七\一二八)