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二 神様の心情的因縁が宿る万物

因縁というのは、きわめて小さなところから結ばれていくものです。個体も四百億兆個にもなる細胞が因縁で結ばれている生命体です。神様の愛を中心とした創造理念の世界、つまり大宇宙のあらゆる存在物は、どれひとつ取っても神様の心情を受けずに生まれたものはありません。このことを感じる詩人は偉大な詩人です。一つの木の葉が揺れるのを見て天宙的な心情を感じ、それを表現できる詩人がいたとすれば、彼は宇宙的な詩人だといえます。

今日、私たちはこういうことについてあまりにも無視し、無関心でいました。私たちの周りに私たちの知らないうちに展開している森羅万象が、神様の愛とともに存在しているという事実を知りませんでした。

神霊に満たされた境地に入ると、ちっちゃな砂粒ひとつにも宇宙の原理が込められているし、ひとつの原子にも限りない宇宙の調和が込められていることが分かります。存在するすべてのものは、はっきりとしたことは分からなくても、何か複合的な力を通して現れた結果だということを否定することができません。分子の中に原子、原子の中に素粒子…。これらが無意識的に存在するのではなく、ある意識と目的を持って存在している事実を皆さんは徹底的に知らなければなりません。

道人とはどんな人ですか? 一本の草を見ても「神様!」と言える心情で、自分の価値と同等にその価値を認識できる人が最高の道人だといえます。同じように、その価値を謳うことのできる人が最高の芸術家なのです。さまざまなに存在する自然界を見て、神様の奥深い愛と心情の妙味にふれ、それらの友となって互いに喜び合うことのできる感情を持った人がいるとすれば、また、さらにその感情で細胞の一つひとつが動く人がいるとすれば、その人は全宇宙を代表できる人なのです。その人は万物の霊長です。しかし、食べることしか知らない人は、万物の霊長になれるでしょうか?

神様が被造世界をおつくりになるとき、そこには喜びがありました。つくったあとで見ると「それははなはだ善かった」とあります。喜びがあったのです。喜びとは何ですか? ある目的を果たしたときに感じるものです。おつくりになった万物に神様の目的意識が内在していたので、創造された万物を見て神様は喜びを感じられたのです。

それでは、復帰の世界はどのような世界ですか? 一言でいうと、森羅万象の各個体を見ながら、神様を賛美できる心情的な因縁を立体的に備えた人々の住む世界です。神様がご覧になる人格の価値はそこにあります。ですから、昔、聖フランチェスコのような人が、動物を見て、あるいは鳥を見て説教したという話もうそではありません。夢のような話です。でも、夢ではなく事実です。(九\一六八)