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二 宇宙の規模と構造

この宇宙がどれほど大きいかというと、何億光年にもなります。何億光年です。光は一秒間に三十万キロメートル進むのですが、その三十万キロメートルというのは、地球を七周半回る距離です。その距離を一秒間で進む光が一年間かかって進む距離を、天文学では一光年といいます。その光年を単位として出発した光が、何億光年と進んでもまだ到達できない、それほど大きな宇宙です。分かりますか?(一二七\二一六)

グリニッチ天文台では、これまで百億光年の彼方にある星まで発見し尽くしたのですが、今や百五十億光年の彼方にある星も見ることができる時代になり、それ以上の時代に入りつつあるのです。

この宇宙がどれほど大きいかというと、先ほど何といいましたか? 百億、ざっと見当をつけて、それも原理的数で二百十億光年、それほど大きいのです。それはどういうことかというと、光がここから出発して、それが一日かかるのを何というでしょうか、一日かかるのを?(一年かかるのを一光年といいます)。いえ、それが一日かかったら何といいますか? 光年ではなくて一日何といいますか? 一何ですか、一光日。一カ月だったら何ですか?(一光月)。私は分かりません、こんがらかって。皆さん、自分で考えてみなさい。

さあ、これが出発して一秒間に三億メートル\光と電気の速度は同じです\三億メートル進むのです。距離でいえば、地球を七周半回る距離です。七周半からの距離になります。あっと言う間にもう七周半回っています。それほど速い光が一日かかってもまだ着かないので、腰が曲がるほど疲れ、気が遠くなって「もう知るもんか」と言うくらいなのに、百年でもなく、百の何万倍ですか? 百の何万倍? 百の百万倍が億ですか? それが一億ですが、一億光年というと、出発してから一億年、進んでいく間にも百歳生きる人が百万人生まれて死んでいきます。

では、二百十億光年ならどうなりますか? 百人の人生の何倍ですか? 二億千万倍ですか? 皆さん、計算してみてください。その人たちがずらりと並んで、次々に生まれては死に生まれては死に、百歳生きて死にまた百歳生きて死に、それほど時間をかけてまだ先があるのです。

その距離も直線で進むのではありません。ぐるぐる回っているわけです。そのような宇宙なのです。自分より先に数えきれない人々が死んいっても、まだ果てしなく続くその距離はどんなに遠いことでしょうか。それは何千年何万年生まれては死に、さらに復活しても足りないほど遠い距離です。そういう世界があるのです。それは盲目的に動いてはいません。すべて授け受けする対応関係を中心として…。私たちの細胞まで作用するのです。

共産主義では、それが自然にできたものだといいます。