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一 なぜ、天地万物をつくったのか
神様はなぜ天地万物をつくったのか、これが問題です。この地、万物はなぜ生まれたのでしょうか。自然発生ではありません。偶然に発生することはありえません。「科学的」という言葉を使うとき、原因と結果がつながらなくては公式になりません。公式的な論理を経て文明も発展するのです。公式を適用できる環境的与件があります。これは自他ともに認める事実です。(一六四\八三)
神様はこの天地をなぜつくったのか、これが問題です。この問題は哲学でも問題であり、数多くの宗教でも問題です。この天地はどうしてできたのか、それが問題なのです。宇宙もやはりそれをなぜつくったかが問題であり、人もどうして生まれてきたかが問題なのです。(一三六\一三六)
神様は何をするために天地を創造されたのでしょうか。いたずら半分につくった? あるいは何か遊びの対象として? 違います。収穫できる一つの結実を心に抱きながら創造したのです。(二七\二二七)
神様はなぜ天地を創造したのでしょうか。それはいくら絶対者だといっても、自分独りでは喜びを感じることができないし、たとえ喜びがあっても喜びの刺激を感じることができないからです。つまり、絶対者がいくら「私は絶対者だ。私は愛の主人公だ。生命の主人公だ」と言ったところで、絶対者一人では愛の刺激を感じることができないのであり、天地が自分の体の中にあるという生命の刺激を感じられないのです。(三八\一五二)
神様は天地創造をなぜなさったのでしょうか? 生命的接着を目的としてなさったのでしょうか? 違います。愛の理想を同化させるためなのです。(一八八\一九六)